「易」には「変化する」という意味(変易)と「変化しない」という意味(不易)があります。
100円玉をくるっとまわしたら、あるごく限られた面からは円形に見えますが、ある場所では長方形に見えています。これをフラットランドの2次元人が見ていたら、その形が刻一刻と変化し続けているように認識できます。
くるくるまわる100円玉を見て、
「どんどんカタチが変わっていく!」
と驚くかもしれません。
その2次元の影は、確かにうすっぺらい長方形になったり、楕円形になったり。色々な姿に変化していきます。
しかし、スペースランドの3次元人である僕たちからすれば、100円玉は100円玉で。まったく、そのまま、にしか見えないわけです。変わった、変わった、と驚くこともありません。
なんせ、変わっていない、のですから。
変わっているのは、あくまで自分の視点と対象の向き、というか、関係性なのです。そのもの自体が変化しているわけではありません。
これを空間的な変化だけではなく、時間的な変化としても考えてみてください。
2次元人にとっての時間とは
3次元人にとっては、停止しているのです。
2次元人にとっては刻一刻と変化しつづけている世界。
3次元人にとっては、まったく不動の100円玉。
完全停止した世界。
不動の変化をとらえられるようになることが、高次元への第一歩であり、もちろん、その認識は人生をシンプル(簡易)にしてくれます。
自分を変える旅から、自分に還る旅へ。