パラレルシフトとは?

時間の本質はパラパラ漫画のようなもの。

最近の研究によれば、時間を細分化していくとそれ以上分割できない最小時間が存在するそうです。それは最小の1コマ、それらコマとコマがつながって時間の流れが生まれます。

いつも僕たちが見ているビデオはだいたい1秒で30コマ、パラパラ漫画でいえば1秒の中に30ページが入っています。

では、この宇宙は?

カナダのある研究によれば、宇宙のビデオテープには1秒間に100000000000000000コマが入っているそうです。膨大なコマ数が入っているものの、やはりそこには最小の1コマが存在します。

プランク時間

つまり、この宇宙ビデオの中に時間は存在しません。

ビデオテープの中に停止したそれぞれの1コマが存在するだけで、誰かが再生してはじめて時間が生まれるのです。ビデオの内容を経験する自分の中に、まさに、今、時間が創られていくということです。

時間はもっとも身近なパラレルシフトです。

願望実現の話

いつかどこかでという認識

願望実現において、僕たちが距離の問題だと考えていることは、実は認識の問題であったります。

いつか、どこか、に……あなたの考えている、いつか、どこかに、きっとあるソレは「もしかしたら、たった今、この目の前にあるかもしれない」それこそが新しい認識です。

目に見える現実の根底には、いつも時間と空間の距離があります。

その距離を埋め合わせるための代償が必要だという思い込みから、多くの人は自分にとって「やりたくないこと」を日々やらされています。そして自らの人生を「やりたくないこと」でいっぱいにしていきます。

「自分がダメ、だから、自分を変える」

これが僕たちが教え込まされてきた、信じ込まされてきた、真っ赤なウソです。社会システムに洗脳されてきた、根拠なき偽り言です。

宇宙はそんなふうには出来ていません。

自分を変えた先にある願望や理想ってのはつまり、

「今の自分ではない自分」
「今の状況ではない状況」

そして、こんなはずじゃなかった。

「今の世界ではない世界(パラレル宇宙)」だったりします。

遠くて近いパラレル宇宙

パラレル宇宙の考え方には大きくわけるとレベル1から4まであり(テグマーク博士の分類)上位になるほど拡張された概念となって、下位のレベルの宇宙を包摂します。

それはこのようになっています。

・別の宇宙(世界)は遠くにあるように見えて(レベル1、2)

・実は、すぐ近くにあるようです(レベル3、4)

レベル1、2の考え方では、今の自分のいる場所から10の(10の118乗)乗メートル先に、この宇宙のちがったバリエーションが存在すると計算されています。

レベル3、4ではマルチバースの捉え方として、目と鼻の先に別の宇宙がある、と考えます。

もしブレーン(膜)宇宙論が正しかったとしたら、3次元の世界を2次元のフラットランドとして考えることができます。

フラットランド

2次元には厚さというものがないので、例えば、厚さ0.1ミリの紙っぺらに、2次元宇宙は理論上、無限に入れ込むことが可能です。同じ紙の中に、まったく別の世界が重なり合っているような状態になります。すぐ近くにあるどころか、それは他でもない ここ に重なってあるのです。

自由意志と運命の話

スピリチュアルにハマってる人は時々、「宇宙のすべての運命が決まっている」と考えます。

この辺りはちょこっと僕や翻訳家の山川紘矢さんたちのトークセッション本の『なんだ!こんなふうに生きればよかったのか』でもしゃべっていました。

紘矢さんがおっしゃっていた「自由意志と運命」の部分で、とても明快な答えを出してくださっています。

なんだ!こんなふうに生きればよかったのか

この本で語られている話、フラットランド的に矛盾が統合されます。

つまりですね。

起きることはすべて「あらかじめ決まっている」のです。

一方で、同時に。

ただ「そのバリエーションが無限に存在する」ということ。

あらかじめ決まっているのだけれど、決まっているものが「ひとつ」ではなくて「たくさん」ある。

だから、ユニ(ひとつ)ではなく、マルチ(複数の)バースなんですね。

別の運命(別の宇宙)に移行する

それでは、ここから別の運命(別の宇宙)に移行するにはどうしたらいいのか?

レベル1と2の答えは、「じゃぁ宇宙船に乗って10の(10の118乗)乗メートル移動してください!」となります。

そんなのできるはずがありません。

一方で、レベル3と4での答えは、

「その世界はあなたの目と鼻の先にあるんだよ」

となるんですね。

それはまだ認識てきていないけれど、ちゃんと目の前に存在しているんだよ、と。しかも、無限に存在している。その無限に存在するバリエーションから、どうやって自分が望む宇宙を引き出すことができるのでしょうか?

選択の話

選択は哲学的な瞬間移動

キーワードは「選択」です。

選択とは、その意味において、宇宙をジャンプする移動です。それこそ、10の(10の118乗)乗メートル移動してしまうほどの、大移動です。

例えば、デニーズに入ってメニューを選択するとき、その選択は確実にあなたの未来を変えます。

だって、コーヒーを選べばコーヒーを飲むことになるし、パンケーキを選べばパンケーキを食べることになるし、サンドイッチを選べばやっぱりサンドイッチを食べるわけです。あなたの目の前に何が運ばれてくるのか、それは、どんなオーダーをするかによって変わりますよね。

この写真は長距離運転で疲れて立ち寄ったカリフォルニアのデニーズで撮ったものですが、僕はコーヒーを注文したんだなってわかりますね。

コーヒータイム

でも、ここで冷たいオレンジジュースを飲んでいる僕がいる宇宙もあったとしたら……それは無理なく存在できたはずの宇宙でしょう。僕は、コーヒーを飲む宇宙ではなく、ジュースを飲む宇宙に移動していたかもしれないのです。

宇宙を書き換える方法

選択には宇宙を完全に書き換えるほどの大きな影響があります。

うーん……ちょっと宇宙にまでスケールを拡げてしまうと大げさに聞こえるかもしれないので、もっと小さなストーリーにしてみましょう。

デニーズの話。

あなたがコーヒーを選べば、それは「ブラジルから豆を持ってこい!」って選択ですし、紅茶を選べば「スリランカから葉を持ってこい!」という選択になったりします。

別にそれらはあなたのため「だけ」に運ばれてきたわけじゃないけど、あなたの選択によって、結果、あなたの口の中にブラジルで育った豆が入るのか? それとも、スリランカから運ばれた茶葉が入るのか?

明らかにそれは変わります。

そのプロセスにおいて、あなたの口までの1万メートルの距離だけでなく、運ばれてくる注文品によってお店とそのお店に関わる人のあらゆるプロセスが変わります。

この、自分に関わるあらゆるプロセスが変わるということ、これはまぎれもない事実です。

この関係性が選び出された瞬間に、すべてが変わります。

つまり、あなたが選んだ未来の実現には、とてつもないエネルギーが内包されています。それは日常においてほとんど意識されることのないエネルギーです。

コーヒーを飲みながら宇宙旅行

きっと、あなたは何も苦慮することなく、それが当然のごとく、とてもナチュラルに

「コーヒーを一杯いただけますか?」

すっと、軽やかに選択しているはずです。

その瞬間、この宇宙は書き換えられました。

無数のパラレル宇宙から、そのひとつが浮上します。

選択は苦しいことでも逆行することでも努力することでもありません。それは一瞬のひらめきのように、鮮やかで透き通ったものです。そして、それが発動されると、1万メートルかけてあなたの口に何が届くのか、一瞬でシフトします。

あなたは10の(10の118乗)乗メートルの宇宙旅行を経験します。

世界のイメージ

僕たちの人生は選択の連続です。

そして人生の選択には、ある特有のイメージがあります。それは、このような感覚ではないでしょうか?

目の前にAとBという選択がある場合、世界は2つの道にわかれています。うまくいく人生、そうでない人生、2つに分岐しているかもしれません。成功と失敗の2つに分岐する、Y字に分岐している。そんなイメージです。

TSI

易でいうと、時間の流れに陰陽が分岐していきます。

このとき、右か左か(陰か陽か)を選ぶことによって、結果としての八卦が変わります。それぞれの選択、展開の仕方によって、まったく結果は変わってきます。

実は、まったく別の認識で見ることもできます。

易経の話

宇宙開闢のイメージ

世界をどう観るのか、宇宙はどうはじまったのか、東洋の古代書物である『易経』ではこのように考えます。

このイメージをつかんでいただけたら、きっと、この先の人生で大いに役に立ちます。

まず、「太極」という状態があります。それは有と無を超えた、超越的な何かがあります。いや、無いです。いや、有る?! 有るとも、無いともいえないような、何かがある。そして、それは確かに無いのです。

それは筆舌に尽くしがたい、何か、です。

易人は、ありとあらゆるすべての根源がこの超越的なこの「無」にあると考えます。それは「有」を前提としたこの世界、この宇宙の外側についての話です。

イエスとノーを超えた宇宙観

無。

それはどんなものよりも大きく雄大で。
それはどんなものよりも小さく微細なもの。

無は持つことも、見ることも、触れることもできない。
無はどこかに置かれることがないし、置かれないこともできない。
無は多くもないし、少なくもないし、数えることすらできない。

それでは、無はどこにも存在しないのだろうか?

その答えは、イエスとノーを超えている。

それは存在する何かではなく、存在しない何かですらないのだから。
あらゆる関係性を超えた、さらに関係性の否定すら超えたもの。

それが無だ。

あなたと無の接点、それはあるともないともいえない。
どこかに接点を持つことはできないし、接点をなくすことだってできない。

そして、それは森羅万象すべての根源になっているのだ。

チェンジとバリエーション

まずは超越的な無、太極という根源がある。

これは最新の宇宙論でも議論されていることですが、今のところファンタジーでかまいません。古来の神話だと考えてください。

「易に太極あり これは両儀を生じ
 両儀は四象を生じ 四象は八卦を生ず」

最初にあった太極から、次に陰陽にわかれます。陰陽はさらに四象という春夏秋冬にわかれ、さらに八卦が生じます。八卦とは自然を8つの象徴、天、地、沢、火、雷、風、水、山でとらえたもので、この8つのアーキタイプでこの世界はできています。

さらに、「易」という言葉の意味は「変化」です。

これは色の変わるトカゲを象徴していて、あるものの姿が変じることを示しています。『易経』は英語で『ブック・オブ・チェンジ』と訳されていますが、まさに、チェンジ、変化のイメージです。

しかし、僕はもう少しちがった表現もできるのではないかな、と考えているんです。

僕は易を「バリエーション」と訳します。

一匹のトカゲは同じでも、青いバリエーションもあれば、赤いバリエーションもある。これはふたつの変化、「青から赤への移動」と考えることもできれば、「ここに同時に2つのバリエーションがあるだけ」とも、いえますよね。

時間と空間の移動

宇宙は時間と空間でできています。特に時間については誰も説明することができません。ですから、時間が何か大きな流れのように変化を創り出しているように見えているわけです。

例えば、トカゲの色が赤から、青に変わりました。

「そうか! 時間が経った。変化が起きた」といいます。

例えば、このコーヒーカップが、ここから、あそこへ移動すれば

「そうか! 時間が経った。変化が起きた」となる。

これはすべて日常的な出来事です。

それを僕たちは普通の変化として受け容れています。

しかし、時間という枠組みを取っ払ってみれば、これは復数のバリエーションと考えることもできます。

パラレルシフトの話

平行する宇宙

易の展開を解説をすると、多くの人がトーナメント表みたいな図をイメージします。

宇宙がビックバンみたいに無の爆発からスタートして、時間が流れるにつれて分裂を繰り返す。

Y字分岐で、右か? それとも左か? 可能性の中から、無数の選択がなされることによってパラレル宇宙が分岐していくという、先ほどのこの図のような展開です。

TSI

これは何かの選択をすると、世界がぱっくり割れるというアイデアです。目の前にはY字の道がわかれていて、AかBかを選択することによって、世界が変わっていきます。

この部分の思い込みを修正できます。時間に関するイメージのちがい、シフトがとても重要です。

実は、最初から同時に8つのバリエーションの現実がある。

易経の展開

どこにですか?

今ここにあるんですよ。

これは多世界というより、多層的に同時に存在している世界。まるでケーキのミルフィーユみたいに、いくつも折り重なって世界は存在します。

太極から八卦に分岐していく図を、もしも正確に描いたら上の図のように、8本の線がそのまま重なっている図になるでしょう。この世界はY字に分岐しているのではなく、パラレル(平行)に並んでいるんです。

ユニバースからマルチバースへ

易経は現代では「このように生きるべき」人間道徳のような教訓論として語られることが多いのですが、そうではありません。

この古代書物は、宇宙のカラクリについて語りかけています。その内容は、最新科学でも解き明かされつつある不思議な仕組みです。

最近の宇宙観では、この宇宙はたったひとつの「ユニ(ひとつの)バース」ではなく、無限の宇宙が並行して存在している「マルチ(復数の)バース」だと考える物理学者も増えてきました。

この宇宙、ユニ、ひとつの宇宙ではなく、マルチ、無数の宇宙を日本語では「多元宇宙論」複数の宇宙の存在を仮定する理論)とも呼んでいますね。

実は、宇宙はたくさんある。

そのアイデアが、ずっと前から、数千年も前から語り継がれてきたということです。その伝わってきたことをひも解いていくと、僕たちの目の前にはどのような世界が見えてくるのか? これが、このページでお伝えしておきたいことの要点です。

この世界の中にいない自分

僕たちは、ここにはいません。

ここにはいない。

ここにも、そこにも、あちらにも、いない。

どこにもいない。

僕たちは自分が「特定の場所」を持っているように感じています。

空間的な位置と時間軸を持っている思いこんでいるから、八卦図を見るとまるで分岐するトーナメント表のように見える。ある選択をしたときに世界が分岐して、どんどん枝分かれしていくようなイメージになる。

でも実は、本質的な視点からは分岐なんてないんです。

すべての可能性が多層世界に重なり合わさっている。今見えているものは、その中に転がったひとつのバリエーションにしか過ぎない。

マルチバースのイメージ

いわば、すべてが重なり合った太極です。

たったひとつの太極だけ。

すべてが同時に、ミラーボールのようにキラキラ、観る角度によって変化しているように見えるだけ。

自分自身が時間と空間に閉じこめられていると思い込んでいるから、「その外の世界は存在しない」ように見えているだけなのです。

僕たちの通常意識では、今ここ、にしか存在していない。それはとてもリアルな感覚です。でも、今ここにすら存在していない。そもそも今ここなんて無いし、これは裏を返せば、何処にでも存在できるということ。

見かけ上、今ここに存在していると思い込んでいるのは、無数の可能性の中のたったひとつのパラレル宇宙というわけです。

そうなってくると、きっとある疑問が出てきます。

なぜ、この自分になった?

なぜ、今の自分は「この自分」なのだろう?

それはごく自然な疑問です。

お金持ちバリエーションの自分もどこかにいるはず。

なぜ、その私じゃないの?

理想の相手に愛されてハッピーなバリエーションもあるはず。

なぜ、その私じゃないの? 

本当はもうちょっと出世しているはずだったんだけどなあ、あれ? もっとスリムな体型だったはずなんだけど、あれ? 仕事がうまくいって誰からも認められているバリエーションの私はどこ?

こんなはずじゃない。

それでも、こんなはずじゃないこと、が実際に起きている。この目の前の現実は一体どういうことなのか?

もしも無限のバリエーションの宇宙があるなら、ですよ。

「ちょっと別の宇宙に行ってきます!」

って叫んでジャンプしたいですよね。

これからこのサイトでお話ししていく内容は、まさに「ちょっと別の宇宙に行ってくる方法」です。

ビデオ:極めるーベルリン編