現実を見ろよ、の「現実」って?

プラトン先生の洞窟の例えでは、僕たちが見ている世界は2次元の「影」のようなもので、振り返れば本当の世界(「影」のもとになった「実」)があるよ、ということでした。この「実」を彼は「イデア」と表現していたわけですね。

「もっとよく現実を見ろよ!」

と、誰かが言ったとき。

この「現実」とははたして「洞窟の壁に写った影」のことを指しているのか?

それとも、壁から振り返った3次元の世界(影のもとになった実)を指しているのか?

によって、まったく意味が変わってきてしまうのです。

そもそも、「現実を見ろよ!」と言われた相手だって、自分なりの「本当の現実」を見ているわけで、2次元を観る者にとっての3次元は幻想で、3次元を観る者にとっての2次元は幻想にすぎません。こうなると話がくいちがってしまいます。

つまり、

どちらも構造は同じ。

「現実」と「幻想」(実と仮)

誰もが自分自身にとっての「現実・真実」を観ているわけです。

この話は『フラットランド』を例えにしたら、もっとわかりやすいと思います。

まず、2次元人のスクエア君は、2次元こそが実(真実の現実)だと思っています。そこに球体のスフィア先生が現れ、別の可能性を知る。その可能性とは、プラトン先生のイデア界のような本当の世界、3次元のスペースランドです。

スフィア先生は、

「キミが見ている世界は、実は幻想の世界だよ」

「3次元の世界こそがキミの見ている影を創り出すイデアなんだ」

とスクエア君をあたらしい世界へと誘います。

ここまでの話ならプラトン先生と同じです。けれども、『フラットランド』の物語はプラトン先生の話とは、まったくちがったものです。そこから『フラットランド』は、その先の段階まで進んでいきます。物語の中で、スクエア君は最終的にさらなる可能性にまで氣づいてしまうのです。

それは……

「3次元があるなら、4次元だってあるんじゃない?」

自分にとってのメンターであるスフィア先生がいっていた

「真実の現実」すら「幻想」であり。

さらに上にその「幻想」にとっての「真実の現実」があるのでは?

と、考えました。次元は4次元、5次元、6次元、ずっと続くのです。

「現実」と「幻想」(実と仮)という構造ではなく、そもそも実なんてもんは無い。

この瞬間に、すべてがひっくり返ります。

実がなければ、仮もない。

仮がなければ、実もない。

「すべてが幻想」であるなら「すべてが現実」でもある。

ときどきスピ系で「この世界は幻想」なんていいつつも、死後の世界なんかをありがたがって「実」だと信じているような方がいらっしゃいますが、それはお話の構造的には、まったく変わらないのです。お互いがお互いを、「洞窟の壁を見ているカワイソウなヤツ」と見ているだけで、聴く耳を持たないガンコ者にすぎないのです。

イデア界を真実の世界だと考えるなら、そのような、真実の世界なんてもん自体がない。

現実と幻想、実と仮。

そもそも、そのような構造自体が幻想であったわけです。

それなら、すべてが現実でもいいわけで。

目に見える世界を実とする人も(プラトンの弟子アリストテレス的)、
目に見えない世界に実があるとする人も(プラトン的)、

なーんも変わらん。

「現実を見ろよ!」

そう言う人は、自分が見ている現実こそが唯一絶対の真実だと思い込んでいることでしょう。

それこそが幻想です。

いくら自分にとっては、現実ではない夢物語を語っているように見える人がいたとしても、その人にとっては立派な現実で、自分にとっての現実が必ずしも他の人にとっての現実になるとは限らないということ。そもそも、現実と幻想がバッティングすると考えていた自分の見方そのものが幻想だったということ。

つまり、実と仮の境界線を消し去る。

これを漢字一文字で「易」ともうします。

易人はそれが真実の世界であるのか、はたまたVR(仮想現実)の世界であるのか、そんなことにはこだわりません。洞窟の壁から振り向いたって、別の洞窟の壁である。その連鎖にすぎない。

そもそも、VRマトリックス ー マトリックスの外の世界 という構造自体が幻想であり、すべてが幻想ということはすべてが現実でもある。これを理解することは、これまでの矛盾を統合した視点を持つことにつながります。

自分を変える旅から、自分に還る旅へ。

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牧野内大史(まきのうち ひろし)作家、コンサルタント。著書に『人生のシフト』(徳間書店から)スピリチュアル翻訳者として著名な山川紘矢さん 亜希子さんご夫妻 あさりみちこさんとのセッション本(ヒカルランドから)や、監修翻訳を担当した『ソウル・オブ・マネー』(リン・ツイスト著)等がある。2014年にIFEC(国際フラワーエッセンス会議)に日本人ゲストとして登壇した。長野市在住。