あっという間に1月が終わり節分。 大阪と東京をぐるっとまわってワークショップを開きました。 2020で大切なこと。 それは、両面を見るということ。 願望 と 問題 好きなこと と 嫌い(苦手)なこと …
このオクタヒドロン(正八面体)は地元のイルミネーションから。華やかなクリスマスが終わると、もう街はお正月モードに突入しますね。鏡餅をながめながら。 LINEで、冬至占のセッションを募集しました。 今年…
「もうちょっとよく現実を見ろよ!」
と、誰かが言ったとき。この「現実」とははたして「洞窟の壁に写った影」のことを指しているのか? それとも、壁から振り返った3次元の世界(影のもとになった実)を指しているのか? によって、まったく意味が変わってきてしまうのです。
ものごとを観るとき、それを> コインの表側から観る人もいれば、> コインの裏側から観ている人もいます。いずれにしろ、どちらも1方向からの切り口です。このとき。「表」も「裏」も「同時に観る」という方法があります。
ゼロというのは、「何も無いこと」ではありません。ゼロ=無ではありません。ゼロは数全体の円周であり、中心点。そのプラスとマイナスの平衡は停止するものではなく、ダイナミックに動き続ける円そのもの。
僕は英字でこの文をタイプするので、文字入力のために30に満たないキーが並んでいます。そのキー情報はバラバラに配置されていて、あらかじめ固定された前後関係を持っていませんし、あらかじめ決められた意味もここには存在はしていません。そして、こうやって順番に画面に映ったキーに触れていくと、そこに関係と言葉と意味が生まれていくわけです。
Φ − 「今のバリエーション以外のすべての可能性」 = 今のあなた 今のあなたには「そうなるかもしれなかった」すべての可能性が内包されている。それは、それ以外すべてのバリエーションのあなたの手が、今のあなたの背中を押してくれているということ。その手のぬくもりは、虚空に秘められたあらゆる可能性の総体。
高次元の認識。
世界にちりばめられた、本当の価値を見出すことができるのは、自分自身だけです。
逆にいえば、すべての価値を創り出しているのは自分自身です。
世界は自分に向かってやってきて、自分から過ぎ去っていきます。
風のように頬をなでて流れていきます。
変化の中心にただ安堵して、ただ座っている自分。
その自分の存在に氣づいたとき、人生は生き「易い」経験へとシフトします。
僕はときどき、この潜在意識という言葉にどこか、前時代的な根性論のような響きを感じることがあります。説明できないことは何でもかんでも取りあえず「潜在意識」としておけば簡単に理屈が通ったような錯覚におちいることができます。