このエピソードを説明づけるとしたら、こんな言葉に落ち着くのかもしれません。
「潜在意識(無意識)」の不思議な力。
僕はときどき、この潜在意識という言葉にどこか、前時代的な根性論のような響きを感じることがあります。説明できないことは何でもかんでも取りあえず「潜在意識」としておけば簡単に理屈が通ったような錯覚におちいることができます。
潜在意識。
それはブラックボックスであり、ミステリーボックスです。
……。
ここから先はある日の話、
ある女性が日本に向かう飛行機の中で、不思議な模様の夢を見ました。
これは顔? 彫刻だろうか?
彼女はそのイメージをスケッチしておいて、その日はじめて会った日本人のエンジニアに見せました。すると彼は「それがある場所を知っているよ」といい、彼女を博物館へと連れていきました。
彼女はそこで初めて それ を見たのです。
確かにそれはそれでした。彼女はそれまでそれを見たことはありませんでした。彼の出身地で発掘されたという土でつくられた古代の作品は確かに夢で見たものです。それから彼女はふとこんなことを疑問に思いました。
今、私がこの作品を見ているのは、私がヴィジョンを見たからだろうか?
それとも、私が今この作品を見ているからこそ、私はヴィジョンを見たのだろうか?
この問いについて、私が時間をまるで一本の糸のように考えているかぎり、思考はどうしようもなく絡まってしまう。正しい答えはけして出ないだろう。精神における時間の前後の因果関係は、私が考えているよりも曖昧で、原因と結果はけして一方的なものではないのかもしれない。
それはパラドックスだ。
そんなふうに彼女が考えていると、日本のエンジニアはある話をしてくれました。
パラドックス(矛盾)をパラレル(並列)として捉えてみたらどうだろう?
東洋には古来から伝わる書物に「易経」というものがある。
Book of Changes
この本は現在のコンピューター概念のヒントにもなっている。
そこに伝わる世界創造の起源を東洋ではタイキョクといったりタオといったりする。かつてある西洋人はそれを「神(ゴッド)」と訳したけど、易経をヨーロッパに広く紹介したリヒャルト・ヴィルヘルムはそのようには訳さなかった。
彼はタオを「世界を創造した神(ゴッド)」としてではなく、
「意味(ミーニング)」と訳した。
素晴らしい訳だと思う。
彼は手元のラップトップを指差しながら話を続けます。
このキーを見て、左手の小指から右手に向かって
A、S、D、F、G、H、J、K、L
と並んでいるね。この文字列に意味はあるだろうか?
あらゆる情報はパラレルに配置されている。
そこには決まった順番や固定された時間軸はないし、
意味も存在はしない。
つまりパラレルなパラドックスがバラバラバラ。
そこで、僕はキーボードをパチパチパチとタイプする。
すると、パラレル(並列)は、シリアル(直列)になる。
僕という「意識」がキーボードをタイプすれば、
そこに「意味」が生まれる。
君が今、ここにタイプされた文を読んでいるようにね。
まず最初に物質的な宇宙、地球という環境があった。
そのずっと後にある日、突然、意識を持った人間が生じた。
この歴史観は本当だろうか?
僕たちは目の前には何かの意味が存在していて、それを僕たちが一方的に受け取ると思いこんでいる。意味を構成するカタチが確かにそこにあり、そのカタチという世界は意味をアフォード(提供)している。そのアフォーダンスによって僕たちは意味を引き出すことができる、これは全人類が共有しているひとつの信仰だ。
けれども、よーく考えてみてほしい。
意味はけして提供されない。
意味はけしてカタチを持たない。
意味、それ自体は無極だ。そしてこのキーボードに並んだ情報の散らばりに世界を生じさせるのが、意味であり、意識なんだ。
タキオン:思い出のブライディ・マーフィー(3)
自分を変える旅から、自分に還る旅へ。