写真は、思わず立ちどまって見たススキ。回転しているように見えたので。
…。
僕がはじめて書いた本には、タイトルに
「人生のシナリオを書き換える」
という文言が入っています。
実は、人生には
すべてのシナリオが織り込まれています。
「書き換える」も「移動する」も「変化させる」
どの表現も、ちょっとしっくりこないので
最近は「シフトする」と表現しています。
ここには 次元 という概念があるとわかりやすいので、『フラットランド』という昔の小説も訳したりしました。この『フラットランド』は次元シフトのお話です。
『フラットランド―二次元の世界から多次元の冒険へ』
エドウィン・アボット・アボット(著) 牧野内 大史 (翻訳)
例えばですね、適当に直線を引いて、
「この線に 点 はいくつ入るか?」
と、問いかけてみれば、答えは
無限。
となります。点には面積がない(0次元)ので、長さのある線(1次元)にはいくつでも入るのです。これと同じように考えてみてください。ぺらっぺらの紙に2次元平面(フラットランド)がいくつ入るのでしょうか?
と考えてみると、これも、やはり。
無限。
となります。
紙には厚さが0.1mmくらいはあるので、厚さの無いフラットランドはいくらでも入るのです。ちょっとでも厚さがあると、厚さの無いものは無限に入る。このような紙に無限セル画のようにいくつも重なり合って人生における、すべてのシナリオが織り込まれています。
ここまで、よろしいでしょうか?
セル画とはアニメーションで使われる透明なシートに描かれた絵です。
実は、このセル画1枚に描かれる1コマの時間はもうわかっていて、5秒の×10の−44乗、この単位は「プランク時間」といいます。このセル画の集合を全体の絵として観る視点からすれば、森羅万象、あらゆるすべてはピタッと停止しています。すべては既に起こったこととして存在しています。そこには、ビッグバンから宇宙滅亡まで、ぜんぶ織り込み済、なんです。
つまり、
人生のシナリオは100%確定しています。
……でも、ですよ。
これはセル画なのでパラパラと再生ができちゃう、と。
さらにいえば、無限にあるので、事実上、どのようなシナリオを描くのだって自由なんです。シナリオにはすべてのパターンが網羅されているので。その、次に、これを
「書き換える」とはどういうことか?
ここまでの話をふまえると、書き換えるという表現は不正確ですよね。
なぜなら、既に書かれちゃったシナリオ、なので。
書き換えるのではなく、無限のセル画から選び出す、顕現させるイメージ。
これをセル画に例えるなら「別のセル画に移動する」イメージです。
実は、誰もが今ここに確かにいると考えている、このセル画・この世界もよく見てみれば、無数のセル画の集合です。例えば、ある相手に出会ったけど、人生のシナリオがまったく、別次元で交わらない世界にいるように感じられる人っていますよね。ここにある透明なシートに描かれた絵は、重ねれば同じ空間にいるように見えます。
それでも、それは別セル画です。
2人が同じ部屋にいるように見えても、セル画が別になっているので、実は、まったくちがった世界にいるわけです。
これは例えば、願望も同じなんです。
同じセル画の中に、その理想や願望やゴールが存在しなければ、セル画の中をいくら動き回っていても、たどり着くことはありません。それは見えるけど、別のセル画は別のセル画です。
ほとんどの人がゴールに向かうとき、前提にあるのは
「移動しよう!」というアイデアです。
そうやって移動するといっても、頭の枠の中にはペラペラの2次元(フラットランド)しかありません。
よって、どこまで行っても別のセル画には移れない、のです。
じゃぁ、どうすればいいのか?
答えはたったひとつです。
自分を変える旅から、自分に還る旅へ。