何かを行う能力とは、その行う以外のことを行わ「ない」能力でもある。
何かを知る能力とは、その何か以外のことを知ら「ない」能力でもある。
ー古代の知恵より。 宇宙開闢の歌
端末には通信のためにSIMというICチップが入っています。
それで、海外で手持ちの端末のマイクロサイズのSIMをですね。
僕個人のiPhoneはSIMフリーなので、ナノサイズに変更して使いましょうか、と思い。
ハサミでジョキジョキ切ってみたら、ですね。
チーン……
作動しない。というか、うまく入らない。
SIMカードは一瞬でぼろっちいプラスチックの切れ端に。
焦ってそのまますぐに滞在ホテル近くの電話会社へ行って、言葉が通じないながらも涙目で身振り手振りで説明し。そのままプラスチックの切れ端を見せると、
「オーーー」 お姉さんは苦笑い。
すぐにナノサイズのSIMを持ってきてくれました。
お礼を言って手数料を支払いながら、
ふと思いました。
「このSIMははたして、前のSIMと同じSIMなのだろうか?」
ちなみに現在は専用のパンチャーを持っているので、大丈夫です。
SIMってのは、その端末を特定するための固有の記号番号が付与されたICチップです。
その固有の番号自体は流動的で意味がありません。
固有の番号が自分と通信会社をつないでいる、その「関係性」にこそ意味があります。
その関係性が維持されていれば、僕は何の不都合も感じることはありません。
僕がこうやって今タイプしている、この指も数年後には99%の構成要素が入れ替わっています。でも、きっと、僕は今と変わらずタイプしている可能性が高いでしょうし、そのポジションは維持されているので、僕は何の不都合も感じません。
たった今も、僕のこの指と身体は。他の惑星の誰かから見たら秒速28kmで、スペースシャトルよりも速くダイナミックに高速移動していたとしても、それを日常の中で意識することはまずありません。
これ同じように、多くのポジションが、固定されたものではありません。
「上」と「下」という方向は
確固と存在しているようにみえて
実は、固定的には存在しません。
宇宙空間に出てみれば、上も下もないからです。
多くの人は固有のポジション = 「それこそが私」と思い込んでいます。
それにアテンションを向け熱心に思い込み続けることによって、固有のポジションを所有できることは人間の持っている素晴らしい能力のひとつです。
けれども、その能力が当然となり自由さを失うと、それは自分を制限するために能力を発揮しはじめ、その能力はまるで呪いのように作用しはじめます。
能力を持っていることと能力を使用できることはその時点ではとても楽しかったはずですが、その能力が何であったか、そして、その能力を自分は遣うことができることを忘れてしまうと様々な問題が生じて苦しみはじめます。
休日のドライブが楽しいのは、自分が自動車を運転する能力を所有していることに氣づいている間だけです。そのことを忘れた瞬間にホラー映画よりも怖い現実が待っています。
能力の所有者が苦しんでいるときは、その所有者は現在の状況を創り出したのがある時点での自分自身であることを忘れてしまっています。
この忘れることは本質的には不可能なので、忘れるとは「私は知らない」という設定であり、どこかの時点で「私はこの件を知らないことにする」と宣言した、参照しない(または、参照すべきではない)情報エリアのことです。
そうですね、誰もがいつだったか「そういうことにする」と創り出した対象に縛られてしまうんです。
もし、「そういうことにする」と宣言した自分を思い出すことができたとしたら。
「そういうことにする」と宣言した自分を忘れている状態を継続させている努力をやめたとしたら。
自分が決めたそのことに関して再決定を行うことができます。
いつでも。
フラットランド―二次元の世界から多次元の冒険へこのストーリーでの2次元世界はまるでこの宇宙です。僕たちはこの1枚の紙の上に2次元宇宙を想定します。けれども、どんなに2Dに入り込もうと思っても、その宇宙に入り込むことはできません。
「フラットランド」の世界では、3Dの球体がそれに接して2Dに出現します。球体は2D世界に円形で接点を持っていますが、2D世界に存在しているわけではありません。2D世界で何をどんなふうに描こうと、球体にはなりません。球体を投影した円を表現できるだけです。
もしも、スフィアがずっと2D宇宙で本氣のリアリティを持って「どこかにいる」自分を夢中で遊んでいたとしたら……いつしか自分が2D宇宙の「どこにもいない」というアクチュアリティ忘れてしまうでしょう。ずっと固有の位置を持つ設定を続けてきたのですから。
その設定をした瞬間の自分を思い出せば、その設定を再設定することが可能です。
いつでも。
自分を変える旅から、自分に還る旅へ。