ちょうど昨日、ツイッターを見てたらですね、
「タコは宇宙から来た生物だった!」
「その証拠が遺伝子から発見された!」
という記事が流れてきまして。
「やっぱり、タコはそうだったのか!」と思い、早速ネイチャーの元記事を読んでみると、ずいぶん前の研究記事で、さらにひどい誤解誤訳らしく(地球で進化した他の生物とかなりちがうよね、程度)彼らは宇宙からやってきた的エビデンスでは、まったく無かったようです。なんだ、デマだったのか。
まあ、
僕らはみんな地球外からやってきたわけですけどね、
生物としても、生命としても。
引用されてた記事
Octopus genome holds clues to uncanny intelligence
ただゲノムだけを見ても、タコが異質な生物であることだけは間違いないようです。
・タコの脳は小さいが、そのサイズで考えられる以上に知能が高い
・タコの神経細胞の3分の2は脳ではなく8本の腕にある
・タコの眼球には水平スリットがあり、盲点を持たない
・タコは体表の色と形を変化させ擬態する
・タコの心臓は3つある
・タコの血液は銅ベースで青い色
左と右という思いこみ
この話題でふと思い出したのですが……
人間の認識において、「人間の身体が左右を持つ形態であること」が大きな影響を与えている、という
マッキー勝手説があります。
小さな子ども時代を思い出していただくと、左右の理解って苦労しませんでした?
「え、そんな苦労なんて無いよ!」
右と左がわからない、そんなの意味不明という方がほとんどかもしれません。
僕はかなり成長するまで、右と左のちがいに苦労しました。左右を判断する前に、一回、お箸の手と茶碗をイメージしないと咄嗟に左と右を判断できないような子だったんです。「ハシを持つ方が右!」こんなことを繰り返し、ここ最近になってやっと左右の感覚に慣れてきた感じです。
子どもたちは身体の成長につれ、だんだんと、右手と左手の位置関係、「左と右」の位置表象を身に着けていきます。そして実は、その認識の理解が僕たちにとっての「前と後」の形成にも関わっているのではないか、そのように考えています。これは成長につれて空間の中に「左と右」という内部表現的なマップ(地図)を創造することによって、世界観ができていくということです。
右手と左手を持たない、もしくは、ちがった形態、例えば8本の腕とか? を持っていたとしたら、世界認識の諸相はまったく変わってくるはずです。
左右を持たない時代を思い出すことができたとしたら……
目の前の世界はまるっきり変わって現れてくるはずです。
別の惑星の前世記憶……
とかではありません(とかでもいいけど)。
その概念を身につける前の小さな頃の記憶でもいいし、もうひとつは、胎児の成長プロセスというものがあります。
受精卵は十月十日かけて、DNAに残された原始生命から人類に至るまでのプロセスをなぞっていきます。細胞分裂を繰り返しながら魚になり、それからさらに両生類へと進化していきます。その魚の身体が形成されるまでは、きっと身体としての左右を持たないでしょう。だから、上も下もない。前も後もない。
人間の成長において、右手と左手ができてくるまでは時間があります。
そして、それを認識するまでにはもっと長い時間がかかります。
そう。僕たちはかつて「球体」のような姿だったんですね。
この感覚を思い出せば、
僕たちにとって「左と右」が強固なプログラムとしてインストールされていることに氣づきます。
TaoTaoカードをデザインしたとき、その11番目「Be with」のデザインは陰陽の太極図を、一旦、3D化して、左右を創る角度で2Dに落とし込んでいます。これは僕たちの強固な思いこみにアクセスできる、そんなカタチです。
このように、鏡の向こう側にある文字は左右が反転して見えます。
(今撮ってきました。パジャマですみません。)
こうした文字を「鏡像文字」と呼びます。
ここで、どうして、鏡の向こう側の文字の上下は反転しないのでしょう?
「左右」は「右左」と反転しているのに、上と下が反転しないのはなぜ?
答えはとってもカンタン。
上下が反転していないように
そもそも、左右も反転していないから。
ただ「左右が反転している」と、思いこんでいるだけ。
思いこんでいるから、その通りに認識される。
ここには僕たちにとって強固な「左右への思いこみ」のプログラムがあります。
<つづく> 左右の反転とポジションの意味
自分を変える旅から、自分に還る旅へ。