「 窓(ウィンドウ)は存在するか? 」
ウィンドウはあたかもそこに存在するように見えます。
「ホラ、ここに窓があるじゃないか!」
けれども、ウィンドウとは窓枠のことではありません。窓枠や建具の向こうが壁だったら、それはやはり、「壁」と呼ばれてしまいます。そして、ウィンドウとはガラスのことでもありません。ガラスの向こう側が壁だったら、それはやはり壁に飾ったガラスアートです。
その壁にまあるい穴を開けたら、それを窓と呼ぶことがありますが、それはけして壁が窓ということではありません。むしろ、その壁に開いた空間のことを窓と呼びます。
窓(ウィンドウ)
そこにあるのは、静かな空間の拡がりです。
空間?
じゃあ、そもそも窓なんて存在しない?
いいえ、存在しないものなんて存在しません。
窓はそこに開いています。
これは窓だ!と差し出せるものがなくても、家にはいくつも窓があって、採光、通風、眺望といった窓の機能を果たしているんです。
昔、こんなコトワザを聴いたことがあります。
「寝たふりしている人を起こすことはできない」
本当に眠っている人を起こすのは、簡単です。ぶんぶん肩を揺らして力ずくで目覚めさせることができます。でも、自ら眠ったフリをしている場合は起こすことができません。そもそも、起きているから。
まず、寝たフリから「降りる」ことが大切。
それでも多くの人は「降りる」なんてアドバイスより、新しく何かを加えて「何かをする」わかりやすいアドバイスが欲しいもの。
ですから……
それが「トイレ掃除しなさい!」でも、
それが「社員をもっと褒めなさい!」でも、
それが「明確なビジョンを持ちなさい!」でも、
「何かしなさい!」って言われると、人は嬉しいものです。
でも、本当に役立つメッセージの本質には、
「何かをする」ことよりも、「何かをやめる」ことがあるようにも思います。
「窓(ウィンドウ)は存在するか?」
ええ、そこに窓はあります。
あなたが「そこには何も無い」と思い込んでいた場所に、窓(ウィンドウ)があります。
それはスペースです。
やっぱり、 何も無いのかも?
やっぱり、それはそこに在る。
窓(ウィンドウ)は圧倒的に存在しています。
自分を変える旅から、自分に還る旅へ。