自分がある進行方向へあるとき
そこに対立してはだかる障害を指して
人は
これを「問題」といいます。
視点を変えたら、ひっくりかえって
これは「願望」となりますよね。
いつも2つの「何か」がぶつかっています。
人はそういう名前で呼ぶことのできる「対象」があると考えています。
なぜなら、言葉とは、名前とは、対象に向けて名付けされるものだからです。
一方で、易の陰陽とは……
「陰」という「対象」も、「陽」という「対象」も見つけません。
あるとき陽は陰でもあるし、別のときは陰が陽でもあったりするのです。その間にある、ダイナミックな関係性のことを道(Tao)といいます。
この道(Tao)はとても大切な視点になりえます。
そこに「対象がある」という前提においてのみ、アテンションの固定は起き、注意は捕らえられます。易はその固定から
「自由になりなさい」
と言ってくれているようです。それは何かを対置し固定された視点を、自分の視点と同一だと思い込まないということです。
主客合一、非二元、物心一如……
そーんなこと、言ってること自体が
氣づかないうちに対象対置の呪縛になってしまっているんです。
それはアテンションの固定。
君よハートの反逆者たれ。
そして、犀の角のようにひとり進め。
もし、自分が何かの対象から不自由さを感じたのなら……
レッスン1. 「その境界線を探してください」
空間と時間(TSI)の中で、どこからどこまでを占めているのか。そして、その境界線の外はいったい何が占めているのか?
すると、そこに必ず在ると自分が思い込んでいた対象なんて無かったということに氣がつくはずです。ここで、あらためて、その思い込みを持っていた自分についても、その境界線をみつめてみてください。
もし、あなたが誠実に、真摯に、緻密に、自分自身の境界線を探るなら…
そこには境界線が無いことにビックリしてしまうかもしれません。
そうしたら、あなたは生命の至要たる秘密と再会します。
そして、ぽつりとつぶやくでしょう。
「こんなにカンタンなことだったとは!」
自分を変える旅から、自分に還る旅へ。