こんにちは、牧野内です。
誰もあなたに何かを教えることはできない。
自得見性。以心伝心。教外別伝。
そんな極意を、今日ちょこっと抜粋して書くつもりが、勢いあまって全部書いてしまった
『猫之妙術』 著者: 佚斎樗山
『猫之妙術』という佚斎樗山によって300年ほど前に書かれたお話です。
ある剣術者が、大ネズミに困って、ネズミ捕りの達猫たちを集めます。そこで、古猫から聴いた武術の奥義についての話。さらりとコミカルに読める短い物語ですが、単なる兵法書ではなく氣づきへと導く童話にも感じられます。
『猫之妙術』とは、こんなお話。
原文は検索すればすぐに見つかります。
ここでは読みやすいように訳しておきますね。
(※ 注意 マッキー勝手解釈、勝手現代語訳として)
=== おはなし ===
その昔、勝軒という剣術者がいた。
ある日、彼の家に大ネズミが棲みついて、白昼堂々と部屋をドタバタと走り回るようになった。そこで、彼は近所からネズミを捕るのがうまいという猫を何匹も借りてきて、その大ネズミを捕まえさせようとした。
しかし、大ネズミは猫の爪をひらりとかわし、彼らに対して稲妻のように飛びかかっては、ガリガリと噛みつく。そのネズミの凄まじい闘いぶりに、猫たちは怖れをなして逃げ出してしまった。
勝軒は腹を立て、自らの木刀を手に取り大ネズミに打ちかかったが、ふわりとかわされかすりもしない。彼は必死にネズミを追いまわしては木刀を振り回したものの、その攻撃は一度も当たらないばかりか、部屋の障子やふすまを叩いてボロボロにしてしまうだけ。
ほとほと困りはてた勝軒は、以前噂で耳にしていた、とある古猫を借りてくることにした。
その古猫は「無類逸物の猫あり」と聞く、とても特別な猫。

早速、その古猫を連れてきてみると、
こいつはあまり利口そうではないし、素早そうでもない。
勝軒は「こんなのろまな猫で大丈夫なのだろうか」と首をかしげながらも
ともかく、あの大ネズミの居座っている部屋に入れて様子を見ることにする。
すると、古猫が入った瞬間、その部屋の空氣が変わった。
そして、大ネズミは部屋のすみでガクガクブルブルと足がすくんで動けなくなってしまったのだ。そこを古猫は、のろのろ、ゆったり近づいて、あっという間にネズミをくわえ捕まえてしまった。
「なんと!!」
勝軒は驚きの声をあげて古猫を見た。

その晩、猫たちは勝軒の家に集って座談会を開くことにしたのだが。
下記は、その会で交わされた対話をまとめたものである。
★(1)古猫の妙術とは
猫たちは古猫を上座に座らせると、彼に教えを請うた。
猫「私たちはこれまで様々な修練を積んでその爪を磨いてまいりましたが、今日のような強いネズミに出会ったことはありませんでした。それをあなたは、あんなにすんなりと捕まえてしまったことに、一同度肝を抜かれたのです。ぜひとも、私たちにその妙術をご指南いただけないでしょうか」
古猫は、集った猫たちに、逆に尋ねる。
古猫「まぁまぁ、若い猫のみなさん。ずいぶんと達者に働けるようではあるが。あんたらが予想外の不覚をとってしまったということは、まだ本当の道にかなった技法をご存じないとみえるな。まず、オイラにあんたらがどのような修行をしてきたのか、教えておくれよ」
すると、一匹の鋭い目つきの黒猫が進み出ていった。
★(2) 正解を求め次々と最新の情報に飛びつくべからず
黒猫「私はネズミ狩りを生業とする一家に生まれ、七尺もの屏風を飛んだり、小さな穴をくぐったり、幼き頃よりこれ以上ない英才教育を受けてまいりました。日々修行にはげみ、これまでマスターできなかった技はありません。タヌキ寝入りメソッドや、軽業ダブルフェイントなど、古今東西の戦略ノウハウも十分に学んできましたし、これまで狙いをさだめたネズミを一度も捕り損じたことなど無かったのです。それが今回ばかりは、まったくもって一生の不覚でした」
古猫「ふむふむ、あんたの修行というのは、ノウハウやメソッドに重心をおいたものだったとみえるな。
そんなあんたの中には、まだ、狙う心があるだろうよ。その狙う心から自由になりなさい。
昔の者たちがノウハウやメソッドで教えたのはね、すべて道を教えるためのひとつの手段にすぎなかったんだよ。それ故、その技法はとてもシンプルで、その動きそのものの中に本質を含むものだった。
ところが、どうだろう。最近のやつらは、もっぱら技くらべばかりしているじゃないか。
ああすればよい、こうすればよい、とういうように、手段に正解を求めすぎてしまう。だから、その小手先の技が通用しないとなると、次の正解を求めて最新のメソッドに飛びつく。そんなことを繰り返しているうちに、そもそも自分が何をしたかったのかすら忘れてしまうんだ。
つまり、メソッドやノウハウ・コレクターにならないことさ。その点、よくよく注意することだね」
次に、はつらつとしたトラ猫が前へ出ていった。
★(3) イメージの勢いに乗じず、カタチを超えろ
トラ猫「私はネズミ捕りにこそ、イメージが大切だと考えてこれまで修練してまいりました。願望実現の極意、それこそ、引き寄せの法則です。そのため私は毎朝しっかりとビジュアライゼーションをして、まず勝利のイメージを潜在意識にたたきこんでから、敵に臨み、いつも相手を圧倒してきました。結果、そのイメージのパワーによって、常に輝かしい勝利を引き寄せてきたのです。しかし、その私があのネズミの動きにだけは、まったく追いつくことができませんでした。なぜなのでしょうか?」
古猫「あんたが修練してきたのは、イメージの勢いに乗じるという、ひとつの技術にすぎない。
それは、結局のところ、自分を頼りにしているということだ。
あんたが自分頼りのイメージで敵を破ろうとすれば、敵もあんたに対抗して、そのイメージを破ろうとするだろう。その自分の枠組みで屈することのできないネズミが現れたら、どうにもならん。
『窮鼠猫を噛む』なんて言葉もあるだろ。窮鼠は、我を忘れて、生を忘れて、欲を忘れて迫ってくる。そこには勝利のイメージも、身を守るイメージすらない。だから、その存在は金鉄のごとき強さなんだよ。そんな相手を、どうやってイメージで屈服させるというのさ」
次に、うなずきながら話を聴いていた、少し年老いた灰色猫がしゃべりはじめた。
★(4)考えるな、感じるんだ!
灰色猫「まったく、おっしゃる通りですな。イメージとは、カタチ。カタチとは、見とられてしまうものなのです。私は若い時分にこのような真理を悟り、宇宙と調和するトレーニングを積んでまいりました。敵に勝とうとする心を手放して、誰とも争うことなく、調和した意識で相手に寄り添ってしまうのです。そして、まるで宇宙とひとつになってハーモニーを奏でるように闘う。すると、敵のどんな攻撃も、私に対しては、のれんに腕押しのようになるのです。どれほど強靭なネズミが牙をむこうとも、そこには敵対する対象が無いのです。ところがです、今日のネズミは私のハーモニーにも応じることがなく、まさに神のごとく存在感で、つい私もビビってしまいました」
古猫「そうかい。きっと、あんたのいっているハーモニーとは、調和そのものではなく、調和を為そうという、思考、のことなのではないかな。
頭で考えてその調和へと至ろうと考えれば、それは濁った水のようなもので、自然な自分らしさを失ってしまうだろう。あんたがあんたらしくなければ、もともとの自然な感性にフタをしまっているようなもの。
感性を閉じたら、本当の意味でのハーモニーは聞こえてこないのさ。
調和とは頭で考えることではなく、ただそのときの自然な感覚にそって動くことだ。
その動きはカタチであらわれることがない。そして、カタチの無いものに、そもそも敵は存在しないのだ。
しかしながらね、オイラはあんたたち各々の修練を無駄だった、などといっているわけではないよ。本質的な道というものは一貫したものだから、すべての動作の中に宿っているものさ。確かに、イメージを生じ、ハーモニーを生じ、宇宙とひとつになることによって岩石にぶつかっても折れることはなくなる。
だがね、たとえわずかであっても、思考に引っ張られてしまうと、オイラたちは自分らしさを失うことになる。だからこそ、オイラはいかなる技も使わず、オイラはオイラで在る。ただ無心に、ただ自然に、ただ応じる、それだけのことなんだ」
古猫の語る真理に、みなヒゲをピクピクさせながら驚き、感動していた。
そこで古猫は釘を刺す。
★(5)木鶏のごとく最強の猫として鎮座せよ
古猫「さて、ここからが大事なんだが……。
どうかオイラの言葉を究極のものだと思わないでほしいんだ。
オイラが出会った最強の猫の話をしよう。
ずっと昔に、となり村にある猫が住んでいた。
その猫は一日中、縁側でのんびりぐうたらしていて、まるで木で作った置物の猫のようだった。誰もその猫がネズミを捕るところを見たことがない。
だがね、彼の近くにはネズミが一匹たりともいなかった。
彼が動いて場所を変えても、その近所からネズミがすべて消えてしまう。
オイラはその秘密を知りたくて猫のところを訪ねたよ。
けれども、オイラがどんなに理由を尋ねても、その猫は一言も答えてくれなかった。4度も聴きに行ったが、4度とも彼は黙ってただ笑うだけだった。
きっと、彼は答えなかったのではなく、どう答えればよいか、わからなかったんだと思う。
『真に知る者は、言にせず。言にする者は、真を知らず』
オイラはそのとき、この言葉の意味を知ったよ。きっと彼は、自分も相手も消し去った、一切のこだわりを手放した、その先の境地に至っていたのだろうね。オイラもこうしてあんたたちと話している以上、彼の境地には遠く及ばないのだろうさ」
勝軒はこの会の一部始終をまるで夢でも見ているような、不思議な心地で聴いていたが、古猫の前に出て一礼すると話しはじめた。
★(6)自分も相手もいない空っぽであることの自由
勝軒「私はずっと剣術の修行を続けてきたが、まだその道を極めずにいる。今宵、猫の皆さんのお話を聴かせていただき、たった一晩でずいぶんと腑に落ちるところがあって感謝している。願わくば、さらにその先の奥義を私に授けてほしい」
古猫「オイラは単なるケモノさ。ネズミはオイラの飯さ。人間のことなんぞ、わからぬよ。
しかし、あえて言わせてもらうならばだ……。
人間の剣術とやらは、けして勝つための技術ではないだろう。生きるにしろ、死ぬにしろ、大変に臨みて明らかにする術こそ、剣術ではないか。疑わず、惑わず、思考を用いずに、ただ静かで安らかな平常心でさえあれば、変に応ずるのも自由自在なのさ。
もし、その心にたとえわずかでもこだわりがあれば、それはカタチになり、カタチがあれば、そこには自分と相手があって、結果、相対して争うことになる。すると、自由は失われて、心は霊明さを失ってしまうんだ。そこでたとえ勝ったとしても、それは何もわからないまま、単なるまぐれで勝ったということで、剣術の本質からは外れた結果だろう」
勝軒「こだわりを無くして無の存在になれということか?」
古猫「オイラが、すべてのこだわりを手放すといっているのは、まったくの空白で、無ということではないよ。
ただ、心にはそもそもカタチというものがないということさ。
そのカタチの無い心の中に、何かを蓄えるべきではないということなんだ。心に何かを蓄えたとたんに、そのイメージがカタチとなる。そのイメージの向かう先は過剰になり、逆に向かわぬ処は不足する。
だから、心は空っぽにしておくんだよ。
オイラのいう、こだわりが無いというのは、心に何も蓄えず、どこにも寄りかからず、そこには自分も相手も存在しないまま、何かが迫ってくれば適切に対応し、その跡すら残さない、ということなのさ。
『易経』には、こんな言葉があるだろ。
無思無為、寂然不動。何かを思うことも無く、何かを為すことも無い。ただじっと穏やかで静けさを感じて、起きることをただ起きるにまかせる。これがすべての道に通じる奥義というものだろう」
勝軒「自分も相手も無いというのは、いったいどのような境地なのだろう」
古猫「うむ、心に自分があるからこそ相手がある。そもそも、自分が無ければ、敵は存在しない。
敵とは、相対する言葉のひとつにすぎない。陰に対しての陽、陽に対しての陰、そういう、ただの言葉なんだ。およそカタチあるものには、必ずそれに対する何かがあるもの。
ところが、もし心に何のカタチもなければ、そこには相対する対象もなく、両極を比べる必要もなくなる。こちらも、あちらも、すべて忘れてしまえば、心は静かで安らかに和してひとつなのさ。
この状態に入ると、世界とは、自分の心の一部にしかすぎないことに氣づく。
そこには、良い悪いも、苦しいとか楽だとか、損だ得だの感覚が入り込むことがない。
世界を含んだ自分の心の外に何かを求める必要がまったくなくなるんだ。
これは昔の人間がいった言葉だが。『眼裏に塵あれば三界(さんがい)窄(せま)く、心頭無事なれば一生寛(ゆたか)なり』もし、目の中にわずかでも砂が入れば、よく見えなくなってしまう。これは、あるべきはずの無いところに、いらない異物を入れるから大変なことになってしまうということで、ここで眼とは心を例えた言葉なのさ。
たとえ千万人の敵の中にあって自分が切り裂かれようとも、この心は自分のものだ。
いかなる強敵であろうと、この心だけはどうすることもできない。
かの孔子は『相手の志を奪うことはけしてできない』といっている。その通りで、こちらが迷えばその心こそがあちらを助く力になるんだ。
オイラの言えるこたぁ、ここまでだよ」
★(7)誰もあなたに何かを教えることはできない
古猫は集った皆を見渡すと、このように話を締めくくった。
古猫「師のできることは、技を教え、その理をさとすのみ。
本質に氣づくのは、あんたら自身だよ。これを自得(じとく)という。
他にも、以心伝心といったり、教外別伝ともいうね。それは教えから外れろなんて言葉ではなく、それが師であっても、誰かが誰かに本質を伝えることは絶対にできない、という真実だ。
本質に氣づくのは、いつも自得であり、以心伝心であり、教外別伝だ。
『教え』とはね、もともと教えを受ける者の中にあるものだ。そこで、自分だけではなかなか見えない点を、外の誰かから指摘してもらって氣づけばよい、ただそれだけのこと。教える側から、一方的に何かを授けるということは不可能な話なのさ。
だから、そもそも、教えることも、その教えを聴くことも、カンタンなこと。ただ、そのきっかけから、自分の中に確かにあるものを見つけて、これを自分のものにすることこそが難しい。
これを見性(けんしょう)といい、もともとそなわった悟りといってもいいだろう。
悟りとは、夢から目覚めた状態であり。
今ここで、それに氣づいている、この感覚と同じものなのさ」
おしまい。
それから300年が経った現代でも、猫之妙術は語り継がれている……。

追伸:
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自分を変える旅から、自分に還る旅へ。
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