「英雄の旅」をご存知でしょうか。
「スター・ウォーズ」「マトリックス」「ロード・オブ・ザ・リング」「ハリー・ポッター」など、ありとあらゆるハリウッド映画の物語、脚本のパターン = 法則として有名な、ジョーゼフ・キャンベルの言葉です。上の黒い本はキャロル・S・ピアソンの Awakening the heroes within 邦訳書。
『ファインディング・ジョー』という作品(アラン・コーエン出演)の上映会に参加された方もいるかもしれませんね。
このヒーローズ・ジャーニー(英雄の旅)は、ユングのアーキタイプ(元型)とのつながりはもちろん、心理学・NLPやセラピーといった分野、はたまたビジネス・経営論にまで、幅広い分野で語られるテーマとなっています。
物語で起きてくるパターンは、映画「スター・ウォーズ」を観てみるとわかりやすいでしょう。平凡な日常から → 非日常への誘い → とまどいと拒絶 → 師と出会う…というように、展開していく、一定のパターンを持っているという視点です。
物語のエンディングでは、ヒーローは帰還します。そこで英雄(ヒーロー)は勝利をおさめ、何かを成し遂げ、大切な宝物を手に入れているのです。
物語はだいたい、そのようなパターンになっている。
最近、従来の物語のパターンとは別の視点として、ヒーローズ・ジャーニーならぬ
「ヴァージンズ・ジャーニー」(乙女の旅)なるものが、提唱されているそうです。
英雄が「男性性」的な物語だとしたら、こちらの方は、「女性性」的な物語のパターンを研究したもの。このヴァージンズ・プロミス(新しい主人公の作り方)を提唱されている、キム・ハドソンさんのインタビューがこちらで読めます(日本語です)。
いま、求められている「新しい主人公」の作り方
http://www.a-m-u.jp/article/interview_17.html/
非常に興味深いですね。
『英雄の旅』を読んで、なんだかなー
と思っていた部分が、僕は、この視点でとてもしっくり腑に落ちました。
では、ヴァージンの物語の例として、どのようなストーリーがあるのか?
『新しい主人公の作り方 ─アーキタイプとシンボルで生み出す脚本術』
キム・ハドソン (著), シカ・マッケンジー (翻訳) フィルムアート社より
ヴァージンズ・プロミスの流れ
第一幕
① 依存の世界 :善良で正しい世界
② 服従の代償 :自分が出せない空氣
③ 輝くチャンス :本心を表現する
④ 衣装を着る :魔法が起きる?
第二幕
⑤ 秘密の世界 :2つの世界を行ったり来たり
⑥ 適応不能になる :混乱と無謀な行動
⑦ 輝きの発覚 :現実に直面・周囲の視線
⑧ 枷を手放す :決断して踏み出す
⑨ 王国の混乱 :世界がぎくしゃくする
第三幕
⑩ 荒野をさまよう :迷い、信念が試される
⑪ 光の選択 :クライマックスと宣言
⑫ 秩序の再構築 :レスキュー
⑬ 輝く王国 :新しい生き方がはじまる
僕の大好きな映画『リトル・ダンサー』で観ていくと…
(若干のネタバレを含むことをお許しください)
あらすじを、ざっくりいうと、ビリーという少年が主人公。
母親をなくして、炭鉱で働く父と兄と、男たちだけで暮らしています。
ビリーは、父親から「男らしくなれ」と言われ、嫌々ボクシング教室に通っています。
そこで、偶然、バレエ教室のレッスンを見かける。
ビリーは、男らしくなるためのボクシング教室のためのお金を使って、どちらかというと女性的なバレエダンスを習うようになるのですが……これ、だいぶ前の映画ですが、本当におすすめの映画なので、ぜひ観てくださいね。
さてさて。
肝心の、乙女の旅、ヴァージンのパターンとは。
元型としてのヴァージンは、物語のはじめ、王国・社会に依存しています。
(リトル・ダンサーでいうと、ビリーは、殴り合いのボクシングが自分には合わないと思いながらも、父親の言う通りにボクシング教室へ通っています)
ヴァージンは親や先生に服従し、言いなりの状況で、誰かの人生を生きています。
その世界は、安全で守られてはいるのですが、自分の人生を生きている感覚がありません。
しかし、ふとしたきっかけがあり、まったく別の世界を発見してしまうのです。
(リトル・ダンサーでいうと、ビリーがバレエに出会う瞬間)
それから、ヴァージンは、あたらしい秘密の世界と、服従している世界のふたつの世界を持つことになります。
(リトル・ダンサーでいうと、ビリーは家族の目を盗んで、バレエの練習に没頭していきます)
しかし、次第に、服従して生きる世界に適応できなくなり、ついに!
自分の輝きが、露見してしまいます。
(リトル・ダンサーでいうと、ビリーはバレエを踊っているのを父親に見つかってしまう。父親の激怒と失望。そして、ビリーのとった驚きの行動は……)
ヴァージンは、自らの輝きが露見してしまったことで、これまでの制限を手放し、最終的には「自分の人生を生きる」という選択をして、自ら輝く王国を創造するのです。
ちゃんちゃん。
僕はこの『リトル・ダンサー』を観ると、涙腺ゆるゆるになるのです。
特に、ビリーが制限を手放し、はじめてまっすぐ自分を表現するシーン。そのシーンで僕たちの心が揺さぶられる理由は、こうしてヴァージンの物語パターンを見てみると、それが自らの物語にもシンクロするひとつの神話でもあるということが深く理解できます。
従来の「英雄の旅」は、「何かを成すこと(DO)」に重心があります。
それは、怖れを克服する。そして、勝利や宝物を得る。
自分の外側に向けた、何かを乗り越え何かを得るという、ストーリーです。
一方で、「乙女の旅」は、「どのような存在であるか(BE)」に重心があります。
それは、
自分の喜び(光)を自己実現するストーリー。
とも、いえるでしょう。
主に、内面の葛藤と、自ら光を選択するまでのプロセスを示しています。
誰もが、はじめは依存して生きています。
誰もが、誰かの言う通りの人生、王国から支配された人生を生きています。
そして、誰もが、無邪氣に語った自分の夢や希望を、まわりから笑われたり、強く批判されて、深く傷ついた経験があると思います。
あなたは、本質的には、自分の生きる人生を選ぶことができます。
あなたは、誰かの期待に応えるために生きているわけではありません。
あなたは、誰かの期待に応えるために生きているわけではありません。
そもそも、誰かのために生きることなんて、できないはずです。
同じように、誰かの物語をなぞるような、人生もありえません。
「自分の人生を生きていくということ」
自分の物語の主人公は、他でもない自分自身です。
そのことに目覚めたとき、すべての物語を創っていたのも
他でもない自分自身であるのだ、そう氣がつくのです。