こんにちは。新月明けの月曜日ですね。
「すべての存在には意図がある」
イギリスで実際にあった出来事に、こんな事件がある。
あるとき13歳少女がスコットランドへ旅行へ出かけた。そこで自分の名前や住所を書いた手紙をボトルに入れて海に流す。そのボトルは2年かけて海を漂い、それを別の海岸で夏休みの家族旅行で来ていた6歳の少年が拾う。彼はこの手紙を興味深く思い、自分の名前のリチャード、そしてボトルをどこで拾ったか等を簡単に書いたポストカードを返送した。
彼女は受け取ったそのポストカードに返事はせず、そのままポストカード収集のためのクッキー缶にしまいこんだ。
それから何年も年月が流れ、彼女は無数のカードを整理しているとき、ふと6歳の少年が送ってくれたポストカードに目をとめる。そして、今現在お付き合いしている年下のリチャードこそが、その少年であったことに氣づくのだ。
この2人は、ずっと昔に海に投げ込んだメッセージ入りのボトルを通してやり取りしていた、という、そんな実話だ。
彼女はきっと「誰か」に届けばいいと思って、ボトルを海に投げ込んだ。
けれども、後になって振り返ってみれば、それはまぎれもなく
たった一人の「彼」に向けて、送られたボトルだったのだ。
きっと、彼女はそう考えるだろう。
これをシンクロニシティという。
それは「すべての存在には意図がある」ということを、ただ信頼することだ。
自分がそのメッセージを受け取った瞬間、自分を通して、すべてが統合される。
その統合は、起きた出来事、すべての意味を書き換える。
こちらは実話ではないが『ジュラシック・パーク』というSF映画では、発掘された琥珀がとても大切なキーアイテムになっている。そこには恐竜の血を吸った蚊が閉じ込められていて、DNAを取り出し太古の恐竜を遺伝子技術で再現するというお話だ。
琥珀は、ある人にとってはキラキラした単なるきれいな石(ボトル)だ。そして、ある人にとっては、DNAという遺伝情報が書き留められたレターの入った、意図あるボトルとなる。
科学研究は、これと似た部分があると思う。
もちろん、蚊にはそんなつもりはなかったかもしれない。けれども、後から振り返ってみればそこには確かに意図を発見することができる。キャッチボールというのは、そのボールを投げる者と、受け取る者、この関係にこそ現れてくるからだ……。
つまり、そこにある意図のすべてを受け取ることのできる科学者がいたとしたら、それは宇宙のすべてを理解したことに等しい。
もし、たった今、
手にしているボトルの意味がよくわからなかったとしても。
ずっと後になって、その意図(レター)が開花するということがある。
もし、自分の目にするもの、自分の発信するもの、自分のやっていること、それらの意図がよくわからなくなる、そんな五里霧中の感覚におちいったとき。僕はある先生から教わった
「すべての存在には意図がある」
という言葉を思い出す。それは僕に「すべての存在には意図など何もない」と考えるよりも、より深く広く世界を見せてくれるように感じている。
そこにある意図を引き出すのは、いつも、あなた自身。
意図したのは、あなた自身。
センタリング。
自分を変える旅から、自分に還る旅へ。