「現在の状況を変えたい」と話す人たちにとって
本当に変えたいのは「自分=私」かもしれません。
自分=私
多くの人は、世界で唯一の存在、確固たる存在として
「自分=私」を認識しています。
けれども、それについてのどの内容を引き出してみてもすぐに、その「自分=私」は自分以外の誰か(何か)に対しての、ポジションだったということに氣づきます。
すると、今まで悩んでいた自分というものは、すべて「他人が作った自分」という存在であったことがわかります。
人間の進化、そして文明に関わるもっとも大きなパラダイムシフトは
火の発見
だといわれています。
この発見を起こしたのは、正確には人間ではありません。
100万年前の旧石器時代、現在は絶滅したホモ・エレクトスが最初に火の有用性を発見したのではないか、という説があります。この発見は瞬く間にヒト(人属)の間で広まり、その文化形成へ及ぼした影響は計り知れません。
諸説ありますが、発見する前にもヒトが火を目にしていたのは確かでしょう。ここでの発見というのは
「これ、使える!」
となってはじめて、発見たりえます。
ヒトは発見した火を使うことで、獣から身を守ることができるようになり、食べ物を料理することができるようになり、暗くて寒い夜も活動できるようになり、寒冷地にも住めるようになりました。火を発見したことで生活の形態がガラリと変わり、それによってヒトの胃袋は他種族よりも小さくなっていき、反対に脳神経は他種族よりも大きくどんどん発達しました。
火の発見、その詳細はどうあれ、ヒトをその他の地球上生物とはちがう領域に引き上げた大きな発見であったことは確かです。
1970年代には、この火の発見に匹敵するヒトの新しい発見があったといいます。
人の進化、そして文明に関わるもっとも大きなパラダイムシフト。
それは、
自由の発見
だといわれています。
これにはあまりピンとこない方もいるかもしれません。
けれども、その発見は確かに起きたんです。
ある時代まで、ヒトは創造主の所有物でした。
ビックバンがあったか無かったかわかりませんが、世界が生まれるその瞬間に解き放たれたエネルギーのピンボールがあちらこちらぶつかって、諸々の結果が起きて、そのすべての結果としての現在がある。今の「自分=私」がいるのはなぜ? それはね、誰かがピンボールを打ったからだよ、こういう考え方はある時代の常識でした。
ある時代までは、生まれた種族や、生まれた場所、生まれた状況、生まれた瞬間の惑星の配置。それらによって、その人の人生のすべてが決まってしまう。自分がどんな人生を生きるのか、それはすべて最初のルーレットで決まった運命によって決まっている、こういう考え方はある時代の常識でした。
人が火を発見してから、数々の試行錯誤はあったはずです。
料理で失敗したり、自分の手を焼いてしまったり、とんでもない間違いも起きたかもしれません。それから100万年経ってみて、今もそれを使いこなせているか? というと、首を傾げてしまうような状況もあります。
それでも人は火との関わり方を探求し「これ、使える」ものとしたんです。
自分の人生は自分で選ぶことができる。
自由の発見によって人の文明はこれからどのように展開していくのでしょうか?
自分を変える旅から、自分に還る旅へ。