ちょっと怖い話。
まるでクリスマスのケーキを切り分けながらの余興雑談…
のような感じで聞いてくださいませ。
注意 :これはあくまで事実をもとにしたフィクションです。
This story is not reality, it is fiction.
だいぶ昔の話。とある仕事で、ある要職に就く人物と食事をしたとき、彼から彼自身がサタニスト(悪魔崇拝者)であるという告白を受けた。その言葉のイメージと人物のイメージにギャップがあったので、僕はちょっぴり驚いた。
悪魔崇拝者というと、なんだか恐ろしげなイメージがあるものの、実際のところ彼らはとても親切な紳士であり、頭の回転が早く魅力的な人物であることが多いことを、その後に知った。
さらに社会的な地位はかなり高い人たちが多い(個人的な印象だ)だから、あなたがもし大きな組織内で働いているなら、その経営者はもしかするとサタニストかもしれないのだ。サタニストのためにせっせと働きながらも、サタニズムの意外な側面を知らない人は多い。
例えば、彼らは「自己中心的」といわれたりするが(ウィキペディアにもそうあった)
けしてそうではない、勝手で個人的な解釈をさせていただければ
彼らの思想のコアたるものは、
そもそも「自己中心的」になる「自己」を持たない点だ。
そのため、彼らは一般的な一神教的または多神教的な信仰こそが一見して「利他的」には見えるものの、もっとも「自己中心的」だと考えるようである。そして、それが本質的には自己中心的な行為だとも氣づかず「正しいこと」だと盲信する人間たちを憐れむ。
「ああ、彼らは自分が何をしているのかわからないのです」
社会システムに組み込まれた個人は、たいていポジションパワーによって「自己」という牢獄に制限される。もし、彼らが契約にサインをするなら、その瞬間に
その魂(=自己)は、大いなるセガシャターンに捧げられる。
だから、彼らは信仰を持たないのではなく、信仰を持つ自己を持たない。つまり、必要とされているのは開始「前」の信仰であり、開始「後」は一切の信仰を必要としないし、それは終わることもなく、その始まりも既に消えている。
彼らが信じる必要があるのは、ただ一瞬、一度きり。
「私を明け渡すことを誓う」という悪魔契約にサインをする瞬間だけ。
サインをした瞬間、この世界の真実の姿を一瞥する。
「私はいない」
その人生の主体は、この世界のどこを探しても存在しない。
その世界に過去も未来もない。
私はいない、そして、誰もいない。
世界はありのままの姿で現れている。
「私を明け渡す」選択を一度しさえすれば、その後の世界のどこにも
「私はいない」のだ。
そこには「自由意志がない」どころか、その「意志を持つ主体」が存在しない。
世界に一切の善行が存在しないのと同時に、そこには悪行も罪も存在しない。そこに善悪という解釈が必要ないわけではなく、そもそも解釈する主体が存在しないのだから。
「意志を所有するという意志」を明け渡す契約にサインをした瞬間
すべては、セガシャターン(大いなる何か)にゆだねられたのだ。
一方で、一多神教というのは死ぬまでずっと信仰を遵守しなければならない。
それは自分が幸せな氣分になるためだったり、他人が幸せになって自分が幸せになるためだったり、世界がより良くなって自分が幸せになるためだったり、自分が天国に行くためだったり、自分が地獄に落ちないためだったり、自分の輪廻転生先が都合の良い場所であるためだったり、うんぬん……
とにかく一生の間、人間は「御利益の奴隷」にならなければならない。
信仰も制限も持たない自由な彼らは、そんな不自由な聖なる奴隷たちをあわれに思う。
ああ「私はいない」のです
と、彼が宣言すれば自分はそこにはない。自分を観ている自分すらそこには存在せず、自分はどこまでいっても一瞬で「なかったこと」にされてしまう。自分という原点は取れなくなるし、原点を取る必要そのものがなくなる。
原点はその定義上、面積体積を持たない。つまり存在を占める物が無い。
「<無いもの>について、あれこれ悩む必要などあるだろうか?」
と、彼らは言うだろう。
何かに悩んでいた「私」は無かったことにされ、何かの奴隷だった「私」も無かったことにされること。それは彼らにとって魂はそもそも無かったというアプローチでの、魂の解放なのだ。
以降の彼は、いかなる御利益にも左右されない。
システムから提供される価値観に左右されることもない。
彼は淡々と人生を静かな傍観者として過ごしていく。
まるで悟りを開いたがのごとく、すがすがしい微笑みとともに。
そして、この「私はいない」感覚こそが、
この社会のゲームを上手にプレーする、ひとつの秘訣でもあったりする。
そりゃあそうだよね。
私のジャマをするのは、いつだって私なのだから。
……。
だからこそ、彼らは自らの信仰(正確には信仰を持つ自分を持たないという信仰)をおおっぴらに他人に語ることは少ないが、おおむね社会では影響力を持つポジションにつくことが多いのだ、と僕は考えている。
(とある心理コンサルタントの手記)
自分を変える旅から、自分に還る旅へ。