エニアグラムとは何だったのか:3の法則と7の法則。 につづいて。
ゼロというのは「何も無いこと」ではありません。
ゼロ=無ではありません。
0=+1ー1
0=+2ー2
0=+3ー3
0=+4ー4
……と、無限に派生する数の原点が0(ゼロ)ということです。
ゼロは数全体の円周であり、中心点。そのプラスとマイナスの平衡は停止するものではなく、ダイナミックに動き続ける円そのものです。
例えば、温度のゼロ度は温度が無いことを示しているわけではありません。ただ勝手に設定されているだけ。それは「とりあえずここから始めましょうか」という起点であり、そこから展開するすべての関係性の基準点です。
それでは、他でもない自分自身への距離(数)はいくつになるでしょうか?
誰もがゼロ。
自分原点。
様々な関係を見ていけば、あらゆる関係性の0という位置に立っているのが、自分自身ということです。
もし、そのゼロを、どこか高い山の上のゴール旗に設定してしまったとしたら?
途端に動く円は停止して自分のポジションはひとつの値に固定されます。
ゼロにいないあなたの人生は「誰かの人生を生きる」ということです。
自分と誰かを比較するということは、どこかの値に自分を固定するということです。
それは、自分ではない何者かになろう、自分ではない何者かを生きよう、と努力することです。
今、すべての創造の中心にあなたが鎮座しています。
その自分を自分自身が見る。
センタリング。
その瞬間、セルフイメージはいつも
「ゼロ」です。
……自分を宇宙の中心に再定義するということ。
目標を持つこともOK。
その目標を手放すこともOK。
矛盾しているようで、矛盾していません。
自分原点のキーワードは「意図」です。
他原点のゴールではなく、自原点のベクトルで見るということ。
ゴールはどこか遠くにありますが、ベクトルは自分の中心にあります(僕は、このベクトルのことを、インテンション「意図」と本の中では言っています)。つまり、あなたが踏み出す一歩は、遠いどこかにある一歩ではなく、自分の足元の小さな一歩です。遠い どこか・誰か が起点になっているわけではないということ。
その小さな一歩には、あなたの意図が宿っています。
その原点は+∞からー∞までのすべての数を含んでいます。
2つの円をこのように合わせたものを、ある伝統では「種子」といいます。
コンパスで種子を描くと、そこにまず現れるのは
3 三角形
次に4 正方形。5 五角形。6 六角形。8 八角形。10 十角形。12 12角形まで樹木のように展開していきます。この種子に隠されているのは、√3(square root 3)です。ルート3は多角形という世界を生み出す形成力の種子なんです。
タオは1を生じ、1は2を生じ、2は3を生じ、3は万物を生じる。
自分を変える旅から、自分に還る旅へ。