「システム思考」
問題 に執着していると、その 問題 がますます複雑になることって、よくあります。そんなとき、全体を俯瞰するのに「システム思考」は役立ちます。
例えば、人体。
人は死ぬと「システムらしさ」を失います。
ひとつに統合された矢印を持たなくなるから、です。
独立していない、自然のシステムの一部に還るわけですね。
個であることをやめ、全体に還る。
よくよく考えてみると、生命体の定義ってもんは科学でも曖昧だったりします。それは科学が要素還元的な視点にこりかたまっているからであり、はっきりと目に見えないものを観ることができないでいるからです。
全体ではなく、すべてが部品。矢印、ではなく、ゴール。特定の場所に特定の正解がある。
ほとんどの現代医学は主に扱うのは物質的な臓器であり部位であり、それはときに死んだ生命体を相手にしているようなものだったりします。矢印は存在しないもので、見えるのはゴール・フラッグだけだったりするわけです。
これを「要素還元主義」といい、
全体は部分の集合体である。
時計はいくつもの部品の集合体である。
このような考え方のこと。
一方で、全体をひとつのシステムとして考える。
それが「システム思考」です。
これは西洋から逆輸入された考え方でもありますが、視点としては、とっても東洋的だな、と僕は感じますね。東洋医学の鍼灸などは、全体のシステムを扱いますから。それはある視点では非科学的、反科学的なものだったりするのです。
どこか西洋での「システム志向」は、温暖化や自然保護などで「これが人間として正しい生き方である」的な主張において、引用され活用される考え方でもあるかなーという、印象があります。だから、画面いっぱいにセミナー講師の顔が写って
「この人類滅亡の危機に、あなたは何も行動を起こさないのですか?」
真顔で問いかけられるようなスタイルは嫌いです。個人的には。
提案ではなく正解は
「あなたの選択は間違っています」
→「私が正解を教えてしんぜよう」
となってしまいがちで、それはまさに要素還元主義ですよね。
危機感の扱い方によっては、多くの人間をコントロールすることになります。
人間の部品化。
当時、メドウズの本も人類滅亡なイメージで売れちゃったといいます。(メドウズ知らない方は『ソウル・オブ・マネー』読んでください)伝聞では彼女はこの注目のされかたを不満に感じており、本当のメッセージは「希望」だったそうです。
希望。
すべての要素が有機的につながっています。
そう考えると、正しさ/まちがいに分断された思考は
死んだシステム
なんです。あくまで。そして、希望とは、
「あなたはどんな未来を選択しますか?」
にあるのだなぁ、と、せつに思います。
自分を変える旅から、自分に還る旅へ。