写真は、プラハの散歩で寄った聖堂にて。
自我とは何か?
「私にとっての私」は自我にはなりえません。
私たちは世界を「私」を通してしか経験できないので、私にとっての世界は「私」がすべてです。世界の果てに逃亡しようとも、「私」は「私」の外側には出ることができないのです。その中で個であろうとする「自我」とは、他者との関係があって、はじめて「自我」になり得ます。
このように考えてみると、「自我」は他者と出逢った後の、後天的に形成されたもの、とわかります。
つまり、
「わたし」 ≠ 自我
「わたし」は自我ではありません。
「あなたにとっての私」 = 自我
「自我」とは「わたし」ではなく、「誰かさんにとっての私」である、ということです。
エゴとは「誰かさんにとっての私」。
もちろん、この「誰かさんにとっての私」ってのは幻想にすぎませんよね。
ここからバッキー(バックミンスター・フラー)が言うように、
「わたし」か「あなた」 から 「わたし」と「あなた」
その認識をシフトさせた眼差しとは何か?
「わたし」が「あなた」をみるとき。
「全宇宙(わたし+あなた)」が「わたし」をみるように。
「わたし」が「あなた」をみるのであれば……その眼差しは黄金比となります。
「わたし」が「あなた」をみつめる眼差しが。
「全宇宙(わたし+あなた)」が「わたし」をみつめる眼差しであるとき。
それが黄金比となります。
これはシキのひとつでもあるので、きっと黄金比とは、そのまま「愛」のことだったんですね。
黄金比は愛の方程式。
ちょっといい加減しつこいけどね、もう一度ジオメトリックにゴリゴリ考えてみましょう。
再び、ヴェシカパイシス(ピスキス、イクトゥス、アーモンド種子)です。
これまでの話を前提に、
ヴェシカパイシスを「わたし」と「あなた」の邂逅ととらえてみる。
「わたし」が「あなた」に出会った。
「あなた」も「わたし」に出会った。
中心を円周に交える2つの円は、まさに出会いです。
次に、わたしの中心を中心として「わたしとあなた」を包み込むような円を描いてみる。同じように、あなたの中心を中心として「あなたとわたし」を包み込むような円を描いてみる。これが両立するのが Be with です。
「わたし」と「あなた」の宇宙。
すると、あたらしい種子(アーモンド)CDができます。
このヴェシカパイシス Be with バージョンということで、ヴェシカパイシスB。
ここに黄金比がありますね。
ABとCBです。
しっかりちゃっかり計算もしておきましょう。
わかりやすく半径2の円で考えますね。これを2つ、ここまでは同じです。
すると、ヴェシカパイシスの縦軸ABは2√3ですね。ここで計算したのと同じです。
次に、それを包みこむように、大きな円(ヴェシカパイシスB)を描くと、この円の半径は4になります。OCの直角三角形を観察してください。ピタゴラスの定理より、中央OからCまでの長さは√15になります。CBの長さは√15+√3になりますね。
CB √15+√3= 5.60503415378
AB 2√3= 3.46410161514
(√15+√3)/(2√3)= 1.61803399
出ました、黄金比。
意識のカタチとして、前回で紹介したものより、すっきりしっくり、うつくしいですね。
以上の幾何学図形は、コンパスと定規さえあればカンタンに描けるものです。
黄金比の定義は、ある線分を2つに分割した場合に
長い線と短い線のロゴス(比)が、全体と長い線のロゴス(比)と等しくなる比率。
私の円を、私とあなたを包むまでに拡げたのなら。
互いの大円の交差点は、中心線に黄金比を創り出します。
黄金比を見て人間が美しいと感じるのは、
それが生きとし生けるもの生命すべてに織り込まれた比(愛)であり。
宇宙全体からみた「わたし」の認識をふたたび思い出させてくれるから。
……なのかもしれません。
自分を変える旅から、自分に還る旅へ。