コントロールを手放せ!
そんな言葉を聞きます。
けれども、コントロールが「いけない」わけじゃないんですよね。
コントロール「しなくちゃ」という「思いこみ」を手放せ、と。
いうことなんじゃないかと。
本当にコントロールできているときを思い出してみてください。
その瞬間からコントロールは消えているでしょう。
例えば、自転車にうまく乗れているとき=うまくコントロールできているとき、その瞬間、その自転車のハンドルにコントロールはありません。ただゆるやかに、ハンドルを握っています。コントロールしようと必死にハンドルにしがみつくとき、そこにはコントロール「しよう」という執着だけがあって、本当のコントロールはありません。
それをゆるやかに触れ続けているけど、そこには注意が固定されていない。
つまり、これは流れにのっている感覚です。
だから、時々「コントロールを手放せ!」とか言う人もいるんでしょう。
一度、「コントロールを手放せ!」を思い込んでしまうと、
「手放そう」としてしまいます。
「手放す」とは「手放す」意味で言っているんだけど、「手放そうとして、手放す」という新しい意識的な行動になってしまう。
余計なことをやめろ、って言ってるのに、新しい余計なことをしようとする。
そこで人はなぜか「コントロールしちゃいけない」と思いこみに注意が固定されます。
実は、それって……
「しなくちゃ」 が 「しちゃいけない」
という別の思いこみに「変換」されただけ、なんですね。
未だ、そこへのアテンションの固定は起きています。
そこにアテンションの解放が起きると、そこにはコントロールの感覚は消えますが、それはより、その人自身の能力を引き出し続けます。このことを僕は「開花」と呼びます。
旧暦においても2017年のスタート
今年も、軽やかに開花していきましょう。
自分を変える旅から、自分に還る旅へ。