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内なる神々は沈黙したのか? ラスコー展

1940年のこと。

マルセル少年たちは4人で森を探検していたところ、連れていた犬のロボが発見した穴。彼らがその中に入っていくと、そこには多くの壁画が描かれていました。それが、2万年前のクロマニョン人が描いたとされるラスコー洞窟の壁画。

現在は保全のため非公開となっているラスコーの壁画を詳細に再現した、いわゆる「ラスコー3」が国立科学博物館にやってきているというので、ちょうど都内に寄ったタイミングで行ってきました。

クロマニョン人は、現代型ホモ・サピエンスで現代人と遺伝的にはほぼ変わりません。ヨーロッパ人の祖先らしいですね。

2万年前のクロマニョン人と現代人、あまり変わらないように思った。 #ラスコー洞窟

Macky 牧野内大史さん(@makinouchihiroshi)が投稿した写真 –

歴史的には、旧石器時代と呼ばれる世代の人間。僕たちが学校で習った生活様式は、とても原始的なものでしたが、実際には装飾や道具、アートを観ると、とても豊かな感性を持っていたように感じられます。

ラスコー洞窟

彼らは洞窟に暮らしていたわけではありませんので、洞窟は何かしらの儀式に使われたり、コミュニティにとってヴィジョンを受け取るとても特別な空間だったのではないでしょうか。一説には、これらの壁画はシャーマンによって強力な変容意識の中で描かれたともされます。

ジェインズの有名な説によれば、古来、人間の意識は「神々の言葉」として聴こえていたといいます。

その時代の人間の意識とは何か?

それは、まず神々の意識があり、それに従う人間の心とは明確に分かれていた(Bicameral Mind)とされます。言葉が発達する前は、基本的に個人の意志という概念がありません。だから、心の中で浮かぶことはすべて、神的存在が耳元でささやいているように聴こえたはずだ、と推測します。

僕たちは、僕たちの頭の中で、今この瞬間も浮かんでは去っていく思考を「自分の言葉」として扱っています。これは当然のようですが、もしも言葉すらなかったら、それはまるで他の誰にも聞こえない神の呼びかけ(お告げ・天啓)のように感じるのかもしれません。

それはチャネリングのようなものです。

この理論でいえば、その頃の人間の内側の心から浮かびあがってくる声は、すべて「神の声」とされていました。自分=人間はそれに従うだけの存在です。個人に自由意志があるとされたのは、それ以降、まずは、個人の声 = 意識が生まれた後というわけです。

古代のコミュニティが発展していくにつれ、言語によるコミューションが発達していき、そのうちに人間は「神々」を自分の内側(パーソナル・パワー)ではなく、自分の外側、自分以外の誰か(ポジション・パワー)にゆだねるようになっていったといいます。神の言葉は自分の内に耳をすませるものではなく、「特別な誰か」に聴くものになったんですね。

その変化が、「神々の沈黙」と表現されているのです。

ラスコー洞窟に描かれた作品。

この壁画を描いたのは、

彼らにとっての神(の意識)だったのでしょうか?
それとも、個(の意識)だったのでしょうか?

…。

彼らにとって自分とは何者だったのでしょうか。

僕たちの神々(内なる声)は沈黙したのでしょうか。

2万年の進化に思いを馳せ、
現代を生きるシャーマン(コンサルタント)として、
とても興味深い展示でした。

自分を変える旅から、自分に還る旅へ。

ABOUT ME
マッキー
牧野内大史(まきのうち ひろし)作家、コンサルタント。著書に『人生のシフト』(徳間書店から)スピリチュアル翻訳者として著名な山川紘矢さん 亜希子さんご夫妻 あさりみちこさんとのセッション本(ヒカルランドから)や、監修翻訳を担当した『ソウル・オブ・マネー』(リン・ツイスト著)等がある。2014年にIFEC(国際フラワーエッセンス会議)に日本人ゲストとして登壇した。長野市在住。