正しい場所に花は咲かない。

「それは間違っている!」

というとき、そういう自分がどんな正しさを「信じ続けたい」のか? 問いかけてみると、思わぬ発見をすることがあります。

なぜかというと、

人は自分が「これが正しくあるべき」ってことを信じ続けることができるように、他人のアイデアを「これは間違っているだろう」と信じこもうとするものだからです。

その意味で、

正しいも、間違ってるも、

根っこにあるのは同じもの。

多くの人は、自分自身であることに怖れを持っています。自分がそう思いこまされ、あらかじめプログラミングされた存在であり続けたい、という潜在的な願望を持っています。だからこそ、ちょっとでも視界限定が開ける話を耳にすると……まわりの人が思いこみの限界を超えていこうとすると……

落ち着かないし、不愉快になりますし、露骨に不機嫌になる。

システムにすっかり餌づけされた心は未知の世界を極端に避けたがります。すべてが想定内におさまってほしいし、自分に与えられた役割におさまっていたいので、自分のイメージの及ぶ範囲内での最善を望みます。

「自分は間違ってはいない」「それは、わかっている」

そんな枠組みで目の前の世界を眺めることになります。

目の前の世界。

それがわかるということ、自分を知るということ、自分の望んでいることが本当の意味で「わかる」とは、いったいどういうことでしょうか?

それはきっと、誰か権威ある人から言われたことなら信じる、誰かに正しいと言ってもらえたら安心できる、そういうことではないはずです。たとえ、自分以外の誰かの言葉が分かりやすくて、明らかに正しい場合でも、ただそれを盲信することと、自分が普段の生活で、深く実感としてわかる、ということはまったくちがう意味を持っていますよね。

たとえば、ここにビンに入ったジャムがあります。

それを見てもいない人が、実際に食べたという他の誰かから、そのジャムについての情報を細かく聞いたとします。そして、一口も食べないまま、「なるほど、よくわかりました!」という人は、もしかしたら何もわかっていないのかもしれません。

そうではなく、ビンを開けて実際に目にして、口に含んで、味わい、「なるほど、こういう味なのか!」という経験を通して、はじめて「わかりました」となるわけです。

それは情報や知識を超えた、ひとつの経験として「わかる」ということです。

わかるとは、それを「信じること」ではなくて

「経験すること」なんですね。

企業で今現在も多い要望に、「社員のモチベーションを上げる研修をしたい」なんていうものがあります。

モチベーションとは、動機づけのことで、たとえば、昇給というアメを与えて、ときにムチをふるって、なんとかやる氣を引き出そうする考え方です。ここには個人的にはとても大きな誤解があると思っています。そもそも動機は外から教えることも与えることも、できないものだからです。提供できるのは「きかっけ」だけです。

そのきっかけをもとに、本人が自ら発見して「わかる」しかありません。モチベーションは上げるものではなく、そこにすでにあるもの。外から目標設定や行動指針を与えることで動機付けはできません。ただ自分が自分に氣づけば、あふれ出てくるものなんです。

それが、覚醒。

自分を変える旅から、自分に還る旅へ。

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牧野内大史(まきのうち ひろし)作家、コンサルタント。著書に『人生のシフト』(徳間書店から)スピリチュアル翻訳者として著名な山川紘矢さん 亜希子さんご夫妻 あさりみちこさんとのセッション本(ヒカルランドから)や、監修翻訳を担当した『ソウル・オブ・マネー』(リン・ツイスト著)等がある。2014年にIFEC(国際フラワーエッセンス会議)に日本人ゲストとして登壇した。長野市在住。