そのアイデアはどこにある?
という問いかけは、問題を創り続ける「問題解決」にはあまり役立ちませんが、「問題解放」にはとても機能します。
問題のイメージがムクムクと大きくなったら、即座に
「そのアイデアはどこにある?」
と、自分に問いかけてみてください。すると、パズルのピースがぴったりはまるようにわかるはずです。問題の本質がクリアーに見えてきます。
もしも、そこで「えー、どこってドコドコ?」ってなったら、「どこだって? わからないなー」ってなったら
即座に、
「その わからない はどこにある?」
と、自分に問いかけてみてみてださい。ちょっとしたコツですが「質問」は、答えを得るために投げかけます。一方で、「問いかけ」は探求のために投げかけます。「質問」は「質問の回答」が返ってきてサイクルを完了します。一方で、「問いかけ」は問いかけをした瞬間に完了しています。
鏡池に投じた一石が、ゆるやかに波紋を拡げていくようなイメージで……
問題に氣づいたら、その時点で、問題は解決している。
さらには、これと逆の意味で……
願望に氣づいたら、その時点で、願望は実現している。
ある男性が願望を持って歩みだそうとしたとき。
彼の目の前の世界は、そこに向かうべきではない理由であふれていました。
その表現を作品と考えるなら、自分には優秀な作品を創作する才能もなく、その作品を誰かに見せると考えるだけでも恥ずかしい。そんな心境でした。まだ誰にも拒絶されておらず、まだ何の嘲笑も受けておらず、そんな状況でもあらゆるものが彼に反対しているように感じていました。
そして、いつしか、彼にはそんな願望があったことすら忘れてしまいました。
やがて、この人生が限られた経験であることに氣づいたとき。
経験というものは「そうする」ことでしか「そうはできない」ことが
今、はっきりとわかりました。
歩くことの実現は、歩くことでしか実現しません。
そこに、「どうやって?」という問題解決は存在しないものです。
歩くことの実現は、歩きはじめた瞬間に実現しています。
そこに、「どうやって?」という問題解決は存在しないものです。
彼はついに表現を創ることをはじめました。
もうその創造を誰かに見せようとも、それを行うことで何かを実現しようとも、それを創ることで何かを解決しようとも思っていませんでした。
ずっとすべきだと考えていて、ずっとしてこなかった準備もいらない。
もう、ベストタイミングを待つことはやめよう。
すると表現の前には、ひとつの壁もありませんでした。
ただそれを直接生きることにしたのです。
ただシンプルに。
ただシンプルに。
自分を変える旅から、自分に還る旅へ。