昔よく「コインの表も裏も観なさい」といわれました。
ものごとを観るとき、それを
> コインの表側から観る人もいれば、
> コインの裏側から観ている人もいます。
いずれにしろ、どちらも1方向からの切り口です。
このとき。
「表」も「裏」も「同時に観る」という方法があります。
そのためには、ちょっとした思考と視点のシフトが必要ですね。
それは、
「コインの表と裏を創り出している部分を観る」
……ということ。
それは円形のコインの中で、四角形になっている部分。僕たちは自販機にコインを入れるときだけ、この四角形に氣づきます。それは2次元的な視点が一瞬だけ3次元にシフトする瞬間でもあります。
こうなる。へリを観るのです。
あちら側もこちら側もない瞬間。
関係性を観る、といってもいいでしょう。
「白ではない色は?」
ある人の答えはシンプルに「黒」かもしれません。黒は白にとっての背中合わせの色だからです。実際には白以外の色はレッドもブルーもあらゆる色たちが「白ではない色」になります。そして、ここでの白の定義は『「白ではない色」ではない色』になります。
白じゃないやつ じゃないやつ。
単純に白といっても、エスキモーの感じる20種類の白のバリエーションに比べて、僕たちが感じる白色はまたちがった色かもしれません。場合によっては、ある人にとってのグレーっぽい色であったり、淡いブルーであったりするのかもしれません。
レッドの補色はグリーンになりますが「レッドではない色」は無数にあります。電磁波のうち可視光線の波長は400nm から 800nmくらいまで。赤色は700nmあたりでしょうか。すべての色は色にすらならない光を含めすべてグラデーションでつながっているので、どこで境界線を引くかは悩みどころです。
それでは、他人とは?
自分じゃないやつ。
ここでは「私ではない人」になるでしょう。
ある人の答えはシンプルに「あなた」かもしれません。それは自分にとっての背中合わせの存在だからです。実際には、かなりの人数の他人がこの地球上にはいて、自分とは『「自分ではない人」ではない人』になるでしょう。
自分じゃないやつ じゃないやつ。
それでも自分の名前を呼ばれたとき、その瞬間に即座に「はい」と、それが自分であると、まぎれもない自分自身を指していると、氣づくことができるのは、なぜなんでしょう?
何かの質問に「はい」と答えるなら、まず「いいえ」の意味を知る必要がある。
自分を変える旅から、自分に還る旅へ。