「手放す」の解説。

手放すということ。

いつだったか、とあるトークイベントで「手放す」ということについてステージ上でこんな解説がなされていました。

「ペンを握って、そして、ゆっくりと手放してみてください」

そうすると手放す感覚がわかりますよ、と。そんな文脈だったと思います。

僕はその話をふむふむと聴きながら、ふと、ステージの上から最前列に座っていたある男性を見ました。彼は、実際に手に持っていたペンを確かに「手放そうと」していたんです。それはちょうど、こんな感じでした。

グー → パー(パッ)

手放すということ

ふむふむ。それも「手放す」というのかもしれません。

けれども、僕の感覚では「手放す」というのは、このようなイメージだったのです。

手放すということ

「いったい、何がちがうの?」

と思われるかもしれません。

ここで「手放す」という言葉の意味を考えてみてください。

手放すとは、手に持っていたものを自分の手もとから放すというイメージ。

それは持ち続けることを、ただやめることです。

これを他の言葉、持ち続けることをやめる、例えば「捨てる」と言い換えてみると、何かをゴミ箱に投げ入れたり、切り刻んだり、ゴミ捨て場に運ぶような、別の新しい行為のイメージになります。つまり、何かの否定は、いつでも別の新しい行為です。

「手放す」という言葉は、「握ること」の反対にある「別の行為」なのでしょうか?

僕たちがある行為を言葉で表現するとき、「始めること」から始まって

起承転結のプロセスがあります。

起承転結

「手放す」という言葉は、どの段階を表現しているのでしょうか?

それを始めること? 続けること? それとも、やり方を変えること?

それとも?

それとも? それとも?

「手放す」というのは、それを維持するためのエネルギーを注ぎ続けることをやめて、解き放つことです。それは「よおおおおし!」と新しいエネルギーを注ぎ始めることではありません。ただ、それを続けることをやめる、ということです。

例えば、システムエンジニアにとって、製品のリリースというのは、もうリリースまでの準備をやめるということです。それは具体的にいうと、デバッグをやめるということです。デバッグの余地は未だにあるかもしれません。大抵の場合は、バグはあります。だからそれはもっと必要なのかもしれません。

それでもデバッグをやめて、そのソフトウェアを世界にゆだねるんです。

僕は今、こうやってブログを書きつつ、いつかの時点でハイと完了します。

それは解き放つことです。

もう、バックスペースキーを押すのをやめて、この文章を書き直すことをあきらめ「送信ボタン」をクリックします。それは不完全な文章です。僕の語る言葉の意味が、これを今こうやって読んでいらっしゃるあなたに必ずしも伝わるとはかぎりません。それでも、ここでの言葉を尽くしたら、あとは「なるようになる」しかありません。

完了はそれが完璧に出来上がったら訪れるのではなくて

解き放った瞬間が完了なんです。

手に持っているペンを、手放す感覚……

ぜひ観察してみてください。

自分を変える旅から、自分に還る旅へ。

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牧野内大史(まきのうち ひろし)作家、コンサルタント。著書に『人生のシフト』(徳間書店から)スピリチュアル翻訳者として著名な山川紘矢さん 亜希子さんご夫妻 あさりみちこさんとのセッション本(ヒカルランドから)や、監修翻訳を担当した『ソウル・オブ・マネー』(リン・ツイスト著)等がある。2014年にIFEC(国際フラワーエッセンス会議)に日本人ゲストとして登壇した。長野市在住。