手放す
ここで解説した「手放す」ということは、なんの変哲もないお話として聴こえるかもしれません。
けれども、多くの人は、一度作動させてそのことを「忘れてしまった」プログラムを継続させながら、そこから出てくる結果を打ち消すための別のプログラムを作動させようと必死に問題に取り組んでいます。
多くの人が問題を解決できずに悩んでいるのは、問題が何かすらわかっていないからです。これを、忘れてしまった、と言い換えてもいいのかな。もし、適切な問いかけがなされたのなら、そのまま問題は、解決するのではなく、すっと解放されます。
根底にあるプログラム、んー例えば、
「この世界は危険なところだ」
なんてものが作動していたりします。
これはそれを「知った瞬間」があったのではなくて、それを「決めた瞬間」があったんです。自分が全力で「世界はこういう場所だ」ということをプログラミングした出来事です。そのとき、「世界 = 危険」というような、人生の方程式を作成したんです。
僕たちはだいたい7歳くらいまでに、自分の生きる世界観を構築するといいます。
世界観というのは、この世界のルールブックでもあり、例えば、熱いストーブ=キケン、とか、服を着ていない=はずかしい、とか。人生を生きていく上での大切な枠組みたちです。一方で、その中には、人=信用すべきではない、挑戦すること=キケン、といった、それが今の人生のブロック(通せんぼ)になっている場合もあります。それは自分の自由な選択を阻んだり、人生を楽しむことの抵抗になる思い込みですね。
そして、ここで大切なことは、そのプログラムは
(1)他でもない自分自身が創り出したということです。
さらに、大きな意味を持つ真実は、
(2)「それを現在も創り続けている」ということです。
それがそれとして継続されるためには、ある一定の注意が必要です。意が注がれないようになってしまうと、それがそれとして維持できなくなってしまいます。だから、それは注意を必要としていますし、ちゃんとある一定の意が注がれ続けるための密かなパイプが用意されています。
その注意のパイプとは、いったい何か?
「過去のトラウマ」
という言葉を耳にすることがあります。
これはデリケートな話題なので、ゴニョゴニョいいながら話したいところです。でもあえて言い切ってしまうと、「過去のトラウマ」は存在しません。そこにあるのは「現在のトラウマ」だけです。(これは過去のトラウマで悩んでいる人にとってはショッキングなネタバレになる可能性があります)
過去、フロイトの精神分析が過去の出来事「あの時、その場所で」を扱っていくことに対して、心理療法のパラダイムシフト、パールズのゲシュタルト療法の視座では、あるがままの自分「今、ここで」を扱っていくことを選択しました。あの時、その場所での出来事を扱っている限りにおいて、その仕組みを理解することができても、原点を自分存在に置くことはできないことに氣づいたんです。
ですから、その「現在のトラウマ」に氣づいた瞬間、その人は「過去のトラウマ」という幻想から解き放たれます。
つまり……
それを決めた瞬間のことを思い出すと、それを消すこと「 も 」できます。
それは他でもない自分自身が原点を取り戻すということです。
自分を変える旅から、自分に還る旅へ。
<つづく>