今日は満月ですね。
引っ越しを終えてからというもの、出版社さんからご恵投いただいている本たちも書斎の隅っこでかなりの積ん読になってきましたので。この半年くらいの期間に出版された本の中でも、特に秀逸で素晴らしい一冊と一冊とを、この場でシェアしていきたいな、と思います。
「英雄の旅」をご存知でしょうか?
ヒーローズ・ジャーニー。
「スター・ウォーズ」「マトリックス」「ロード・オブ・ザ・リング」「ハリー・ポッター」など、ありとあらゆるハリウッド映画の物語、脚本のパターン = 法則として有名な、ジョーゼフ・キャンベルが発見した物語のパターン(これについては キャロル・S・ピアソンの Awakening the heroes within も有名)。
↑のアーキタイプ(元型)に興味がある方には、ぜひ知っておいて欲しい、
ヒーロー目線ではない、ヒロインの旅があります。
ヒロインズ・ジャーニー。
男性性ではなく女性性のストーリーに関しては以前、キム・ハドソンさんの書籍をシェアしました。
★ ヴァージンズ・プロミス(あなたがあなたで在るということ)https://ins8.net/virginspromise
そして、同じフィルムアート社さんから、やはり同じシカ・マッケンジーさん翻訳にて出ているのが、こちら。
ヴァレリー・エステル・フランケル 著
『世界を創る女神の物語』ー神話、伝説、アーキタイプに学ぶヒロインの旅
という一冊です。
『新しい主人公の作り方』が具体的な女性性のアーキタイプ(元型)が辿る自分へ還る旅を、実際の映画シナリオと照らし合わせながら見ていく本だとすると、今回は世界のいたるところに伝わる伝説や神話のストーリーを紹介しながら「少女はやがて女神に成長していく」という視点で、自分へ還る旅を考察しています。
紹介されている女神にまつわる物語は多く、アフロディーテのような女神と聞いてパッと思いつくような神話もあれば、カウアイ島のペレのようなマニアックな女神、そして、日本古事記に伝わるイザナミも紹介されています。本の厚さも辞書のような佇まいですね、うーん。
問い:自分が何者であるのか?
「自分が何を達成するのか?」
が主導となった時代はもはや終わりつつあり、その次にやってくるのはこれです。
「自分が何者であるのか?」
それは男女に共通した大切なテーマです。この時代の変容の中でも、女性性や女神といったテーマは、今現在、多くの人に氣づきのあるものだと思います。その可能性に氣づきつつある人も多いはずです。
けれども実際には、女性性の解放や内なる女神の表現といったものが、
「極めて男性性的に展開されている」
というのが世間の実情であり、制限されたパラダイムに自分を無理やり押し込め、あくまでヒーローズ視点でのヒロイン風・インスタント・ヒーローが展開されている……というのが、僕の率直な感想です。
結果、本来であれば自分を自由にする流れが、逆に大きな葛藤を抱えてしまっている女神は……
実は多いのではないでしょうか(男性の中にいる、内なる女神も含む)。
そんな中で再び思い出したいのが、ユングの患者であり、後に弟子であり愛人でもあったトニー・ヴォルフの提唱した女性元型です。それまで心理学の女性元型は男性の相手としての側面でしか注目されていませんでした。
トニー・ヴォルフは女性を
「アマゾン(女傑)、ヘタイラ(娼婦)、マザー(母)、メディアル(霊媒)」
4つのアーキタイプとして分けました( Structural forms of the feminine psyche )。この女神について考察された4タイプはそれぞれ、こんな感じです。
「アマゾン(女傑)」は、男性にも対抗しながら達成される勝利と競争によって自我を確立しようとします。いわゆるアニムス・コンプレックス(父娘)で、男性への期待に応えようとする面と、男性を打ち負かそうとする面です。
世間で多く見られる女性性の解放といったものは、ときに「男性に負けない」「男性を打ち負かして勝利する」といったアマゾン的な元型として見ることができるかもしれません。
「ヘタイラ(娼婦)」は、男性との関係で開花し、男性にとっての愛人であり花嫁であり、男性の潜在性を引き出す存在です。さらにこの部分は、自分と自分自身との関係について深めていく段階となります。
境界を超えて誰かとの関係を深めるというのは、そのまま自分自身を見つめていく過程そのもの、でもあるんですね。
次に、「マザー(母)」は、大地のように育み恵みをもたらす女神の段階。反面、自分の子を食べちゃったり、飢えさせたりする闇、シャドーもあります。
最終的な「メディアル(霊媒)」は、ヴィジョンをつなぎ死と再生を司る存在。潜在意識からインスピレーションを汲みあげるシャーマンや預言者です。
過去、男性中心の社会システムの中で、女性の役割は男性の伴侶としての側面が強く、女性は自分の願望に無頓着になるように押さえつけられてきました。ユングでさえ、女性は自然的な存在であり、ときに脅威、男性が征服するものという考え方を持っていたようです。
つまり、 当時の社会システム = 男性の視点、そのものであり、その枠から女性に求められるのは、男性によって決められた「女らしさ」だったわけです。
そして結果、女性も男性も、双方がアーキタイプの罠にはまり、決められた役割に縛られて、人生はこんなもんだ、と自分が望まずとも期待する通りの人生を生きてきました。
今はどうでしょう?
現在は女性も男性も「自分が何者であるのか?」その問いに開かれた時代です。
何かに自分を同一化しても、しなくても、いい。
僕たちは様々なアーキタイプを通して世界に自分を開いていきます。
自分を変える旅ではない、自分に還る旅。
その旅で、僕たちはどのような「本当の自分」と再会、するのでしょうか?
追伸:
この本では独自視点として、このように月の満ち欠けに照らし合わせてアーキタイプが解説されています。満月が偉大なる女神なら、その180度の反映は魂の守護者。そして、陰陽が対になった状態でダイナミックに循環します。月の表面と裏面のような対応でイメージすることができます。
僕はアーキタイプの分類自体を重視はしていません。
しかし、このようなひとつの月として見てみると、それらが、けして、そのひとつひとつが分かれているものではないものだと理解することができます。
そうです。これって、こちらのビデオで話していることと、根っこは一緒。
満月とは、その反対側から見たら、新月。
なんですね。
それは無でも非でもなく、圧倒的な在。
それらすべて面を超え、球体その全方位を包み込むのが、本当の意味での
「女神」です。
反対側に映るもの(引用)
この世に生まれたヒロインは生の世界を旅します。その世界は社会やマナー、日々の生活、宿題や課題、育児や家事などもあるでしょう。それとは対照的に、地平線の下の死の世界は無意識や魔法、願望や欲求の世界です。感情と魂の女性的な領域ですが、長居をすると若い娘も死の老婆と化してしまいます。内面を豊かにしたら地上に戻り、生の世界に力を注がなくてはなりません。
(中略)
ヒロインの旅はシャドウと対になって進みます。恐ろしい母は闇に下り、寛大な妖精のような老婆になります。そして優雅に年を取り、最大の力を持つ「魂の守護者」へ向かいます。
世界を創る女神の物語 より
ヴァレリー・エステル・フランケル=著|シカ・マッケンジー=訳
自分を変える旅から、自分に還る旅へ。