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第12章 フラットランドの聖職者による教え

第11章のつづき

円の教義は簡単に言ってしまえば、

「汝自身の形に注意しなさい」

ということになる。

政治、教会、道徳、いずれにしろ彼らの教えは個人と集団における形の向上を目指すものである。もちろん、その中で円はもっとも特別な形であり、その他のすべての形の上に立つ。

円は古い異端信仰を抑え込むことで、この世界の住人たちが無意味なことに共感して無駄なエネルギーを使わないようにしている。その信仰は、人の価値は、その意志や努力、練習、励まし、賛美、形ではないものにあるというもの。形こそがその人そのものと人々に確信させたのは、色彩革命を鎮圧したかの人物、パントサイクラスだった。

例えば、二等辺三角形として生まれたのに2つの辺の長さがちがう場合、その辺を等しくさせない限りは悪いことが起きる。辺の長さをそろえるために二等辺三角病院に行かなくてはいけない。生まれつき不正規な者は、病院に連れて行かれてその治療を受けなければいけない。そうでなければ国の刑務所内で一生を終えるか、死刑執行によって人生を終える。

パントサイクラスによれば、ちょっとした悪事から凶悪犯罪まで、すべての罪はその形が完璧なものではないことが原因である。このような逸脱の原因は先天的なものを除いて、運動不足や運動のしすぎ、図形との衝突、温度変化などによって、影響を受けやすい部分が縮んだり伸びたりしてしまったことによる。そのため、この著名な哲学者の結論はこうだ。良い行いも悪い行いも、それを褒めたり叱ったりする意味はない。例えば、正方形の誠実さを褒めるよりも、その角度が正確に直角であることであることを褒めるべきだという。あるいは、盗み癖のある二等辺三角形の嘘を責めるよりも、彼の辺が治療できないことを嘆くべきだというのだ。

理論的に考えてみても、この教義に疑問の余地はないだろう。しかし、これには欠点もある。例えば、二等辺三角形を処分する際、その悪党が「自分は辺の長さが不揃いだから盗みをしてしまうのだ」と訴えたとする。そして、まったく同じ理屈によって、「まわりにこれほど迷惑をかけるお前は破壊するしかない」と死刑宣告することができる。

しかし、日常の小さな問題については、この理屈がおかしなことになってしまうことがある。正直にいうと、ときどき私にもこんなことがある。孫の六角形が私の言うことを聞かない言い訳として、「温度変化で僕の辺がおかしくなっちゃったからだ、悪いのは僕じゃなくて僕の形だよ。おいしいお菓子がたっぷりなければ形は治らないなあ」なんて、言ったりする。理屈はもっともだが、彼の言い訳通りでもないだろう。

個人的には、孫の形をしっかりするためには健全に叱ったり言い聞かせる方が適切だと考えている。何か具体的な根拠があるってわけではないけれどね。こういったジレンマにおちいっているのは私だけではないのさ。もっとも高位の円階級判事が法定において、正多角形や不正規の多角形を褒めたり責めたりしていることを、よく知っている。こうした円たちも、家庭内で自分の子どもを叱るとなれば、「正しい」と「間違い」という言葉があたかも実在しているかのように、そして自分の形は自分で選ぶことのできる可能性があるかのように、激しく熱く語っているのさ。

円階層によって、とにかくすべてにおいて形が大切だという方針が続けられた結果、どうなったか。フラットランドでの親子関係を支配する決まりは、スペースランドのそれと逆転した。あなたの世界では、子どもは親を尊敬するように教えられているだろう。こちらの世界では、大人はまず円を、次に孫を、孫がいなければ息子を尊敬するように教えられている。ここでの「尊敬」というのは、「甘やかす」のとはちがって、その子の利益を何よりも優先させるという意味だけれどね。その敬意によって、自分の子孫を向上させるだけでなく、国全体を豊かにしていくべきと考えられているのさ。

こういったシステムの弱点について話そう。私のような正方形ごときが円の考えに弱点などといってはいけないかもしれないけど、あいえて言わせていただくなら、ご婦人との関係においての弱点だろうね。

不正規な図形が生まれるのを避けることは、この社会にとって何よりも重要なこととされている。子孫の進化と社会階層を高めていくことを願う者にとって、不正規図形を祖先に持つご婦人はふさわしい結婚相手とはいえない。

男性は計測すれば、不正規図形かどうかはすぐに分かる。ではご婦人はどうだろう。彼女たちはすべてまっすぐな線だから、その見かけ上は規則的な図形といえる。だからここには、目に見えない不正規性、とでもいおうか、そのような子孫が生まれる可能性、その有無を判断しなくてはならない。その確認のためには国家によって監督保管されている家系図を注意深く調べなくてはいけない。そして、そのような証明書類がないご婦人は結婚が許されないのだ。

同じような家柄への注意を円階級だってはらうべきと思われるかもしれない。しかし、意外なことにそうではない。社会階級が高くなっていくにつれ、不正規図形に対しての警戒は薄れていくようだ。自信にあふれる階級を順調に上げてきた四角形や五角形は、500世代前のことは問題とはしない。さらに六角形、十二角形となれば、相手の家系図にもっと注意をはらわないようになる。しかも円にいたっては、不正規図形の曽祖父を持つご婦人をわざわざ妻にすることもある。理由は、ほんのちょっとだけ輝きが優れているとか、声が低くて魅力的だとかいうことなのだ。ちなみに、ここではご婦人の声が低いことは美点とされている。

このような適切でない結婚をしてしまうと、辺の数が減った子どもが生まれてくることもある。だからといって、その不幸によってこうした適切ではない結婚が減るわけではない。高度に進化した多角形にとっては少しくらい辺が減っても簡単にはわからないだろうし、今は手術のような他の方法もあるからね。円は繁殖しにくい性質もあるから、こうしたことがよしとされてしまうのだろう。

しかし、このような悪しき行いを見逃していては、円階級は人口減少を起こし、円の長が生まれなくなることでフラットランド自体が崩壊してしまうかもしれない。

これを改善する方法があるとはいえないけど、私にはもうひとつの警告もある。これもまたご婦人に関することだ。300年ほど前に、円の長はご婦人は感情的で知性に欠けるから、もう知的な教育を行うべきではないと命じた。結果、ご婦人たちには読み書きも計算もできず、そのため夫や子どもの角度を測ることすらできなくなり、世代を追うごとにその知力を失っていった。現代でも、ご婦人に対しての無教育主義や静寂主義といったものは優勢なのだ。

この政策は円階級に最善だと考えられ実施されているのだろうが、実は男性にも有害な結果をもたらしているのではないか、と私は考えている。

何が起きているかというと、今や、男性たちは2つの言語を操る必要に迫られている。もっと言うと、2つの精神に分離しているのだ。ご婦人と話すときは、愛、義務、良い、悪い、同情、希望、といった理性的ではない感情的な概念について語り合う。実は、存在するはずもないこうした概念をでっちあげているのは、ご婦人たちをコントロールするためでもあったりする。そして、男性同士や本の中ではこれらとはまったくちがう言葉を使うわけだ。愛は利益の期待、義務は必要、または適応、と言い換えられる。

さらに男性はご婦人と同席していれば、ご婦人に最大の敬意をあらわす言葉を使うようになる。ご婦人たちは円の長以上に自分たちが愛されていると信じているのに、男性たちにとっては愚かな生き物とみなされているのさ。ご婦人の神学と、私たち男性の神学はまったく別物でもあるということだね。

私が心配しているのは、こうした二重の言葉や思考をトレーニングするのは、今の若者にとっては負担が大きいのではないかということ。3歳になると母親を離れて、これまでとちがった科学的な言葉づかいを身に着けさせられる。300年前の祖先たちの強固な知性とくらべて、現代人はどうも数学的な真理を理解する力が弱いようだから。

私が言いたいのは、ご婦人たちがこっそり字を読む能力を身につけ、売れている本を一冊くらいは読破し、その内容を他のご婦人に伝えられるくらいになってしまう、そんな危険な可能性の話ではないのさ。男子がうっかり母親に論理的な言葉の使い方を教えてしまうかもしれない恐れについての話でもない。現代の男性の知性すら危うくなっているこの状況下では、ご婦人への教育に対しての規制をゆるめる必要があるのではないか、そのように私は最高位の官庁へ提案したい。そういう話さ。

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『フラットランド―二次元の世界から多次元の冒険へ』
エドウィン・アボット・アボット(著) 牧野内 大史 (翻訳)

自分を変える旅から、自分に還る旅へ。

ABOUT ME
マッキー
牧野内大史(まきのうち ひろし)作家、コンサルタント。著書に『人生のシフト』(徳間書店から)スピリチュアル翻訳者として著名な山川紘矢さん 亜希子さんご夫妻 あさりみちこさんとのセッション本(ヒカルランドから)や、監修翻訳を担当した『ソウル・オブ・マネー』(リン・ツイスト著)等がある。2014年にIFEC(国際フラワーエッセンス会議)に日本人ゲストとして登壇した。長野市在住。