錬金術の叡智

意識の諸相とフラットランド。

フラットランド。

「お前は2次元の夢を見ているんだ! 3次元に目を覚ませ!」

とスフィア(球体)が言っていたら。

自分だって3次元という夢を見ていたという、お話。

フラットランド―二次元の世界から多次元の冒険へ

さて。

自分のゲームがうまくいっていない意識は「こんなの単なるゲームさ」とひとつの結論を求める傾向があります。その一方で、自分のゲームがうまくいっている意識は多様な状況をゲームから引き出そうとします。

そのどちらでもない意識は

ただその世界を味わいその状況を楽しみます。

ゲームに自らを同一化することなく

あくまでゲームを全うするということ。

ゴール

意識が取り組むゲームには、何かしらのゴールがあります。

そのゴールは意識の持っている価値観によってできています。

価値観は大抵の場合、あらかじめシステムから埋め込まれたものです。

そして、その価値観は「欠けている」という感覚を基盤にしています。

実際には、世界には何も欠けてはいないので

その「欠けている」というのは自分が合意した幻想にすぎません。

けれども、意識はこれが「欠けている」と思いこむことで「欠けたものを埋め合わせる」というゴールを設定することができています。もちろん、そもそも欠けていないものを埋め合わせることはできないので、そのゴールが達成されたら、次の尽きないゴールを設定することができます。

Re:ゴール

欠けたものを埋め合わせるゲームが末期症状を迎えると、欠けたものを埋め合わせる度にその欠けた部分が肥大化していき、完全に状況がパンクする出来事によってゲームは終わりを告げます。

場合によっては、死にます。

そのとき、意識ははじめて

自分が求めていた埋め合わせの先に充足がなかったことを思い出します。

すでに充足された現実があり、そこから必死に目を背けていただけだったんです。

「お前は2次元の夢を見ているんだ! 3次元に目を覚ませ!」

そう、3次元の住人は言うかもしれません。

3次元の住人には2次元をまるっきり見渡すことができるので、2次元の住人がずいぶん制限されて生きているんだなあ、と感じられます。ですから3次元のスフィア(球体)は2次元の膜に接点を持つことで、スクエア(三角形)の目の前に現れました。

2Dの幻想ではない、3Dの真実を伝えるため……

それでも、3Dゲームも2Dゲームもあまり変わらないんじゃないかと、ゲーマーの僕なんかは思ったりします。3D映画が従来の2D映画より格段に、次元を超えた面白さがあるか? というと、別にそんなことはありません。VRが普及してもきっと同じです。2Dだろうが、3Dだろうが、そして小説であろうが、経験は僕たちの変性意識内でひとつの物語に統合されています。

意識は直接2Dに触れたり3Dに触れたりはしません。

意識は思うことを思うことによって現実にしています。

フラットランドの外に意識を向けないのであれば、僕たちの意識はフラットランド内に閉じこめられたままにしておくこともできます。これはスペースランドでもまったく同じことです。もしかしたら、スクエア(三角形)にスフィア(球体)が現れて、

「お前は2次元の夢を見ているんだ! 3次元に目を覚ませ!」

と誘ったように、スフィアの前には、テセラック(超立方体)が現れるかもしれません。

「お前は3次元の夢を見ているんだ! 4次元に目を覚ませ!」

すべて構造は同じなんです。

上へ、上へ、というのは結局は欠乏と否定にすぎません。

どんな意識もそれなりに自分のゲームを楽しんでいます。

tobira

もしも、 どこ? どこ? と探している次元シフトの扉があるなら……

次元シフトの扉はいつだって自分の足元に。

世界のどこを探しても見つけることができないものは
他でもない、自分自身の足元で見つけることができる。

Re:ゴール

自分を変える旅から、自分に還る旅へ。

ABOUT ME
マッキー
牧野内大史(まきのうち ひろし)作家、コンサルタント。著書に『人生のシフト』(徳間書店から)スピリチュアル翻訳者として著名な山川紘矢さん 亜希子さんご夫妻 あさりみちこさんとのセッション本(ヒカルランドから)や、監修翻訳を担当した『ソウル・オブ・マネー』(リン・ツイスト著)等がある。2014年にIFEC(国際フラワーエッセンス会議)に日本人ゲストとして登壇した。長野市在住。