行動と構造。
私たちのあらゆる行動には結果がともなう。しかし、利口な正しい行動のすべてが良い結果をもたらすとはかぎらないし、その反対の行動がすべて悪い結果を生むとはかぎらない。
『ゲーテとの対話』より
行動・行為とは何でしょうか?
僕は机の上のコーヒーカップを手にとって、口へと運びます。
このたった1行で表現できる行為も、それを細かく観察すれば、実に多くの複雑な、小さな行為の連続で成り立っていることがわかります。一瞬、一瞬に微妙なコミュニケーションが起きています。
例えば、自動車を運転しようと思ったら多くの能力開発が必要です。しかし、一旦、その能力を獲得してしまえば、それはその人にとっての「運転」という自然な行為に変わります。その「運転」という箱の中には、交通ルールの知識はもちろん、視線の動かし方、ハンドルやブレーキをコントロールする技術が含まれています。
運転している人が事故を起こすと、その原因はその場所やその行為になります。
そこは見えにくい交差点だったかもしれませんし、ハンドルを回しすぎたのかもしれません。相手がこちらの車線にはみ出したのかもしれません。いずれにしろ、構造の中にいると、構造の中での「犯人さがし」しかできません。そうやって事故という経験を素通りしてしまった人は、そのうちまた同じような事故を起こします。
行為を変えても構造はまったく変わっていないからです。
例えば、ダイエットに何度も挑戦しながら、うまくいかなかったり、すぐリバウンドしてしまう人がいます。
その人は、行為(やり方)が悪いのだ、と考えます。ですから、新しいダイエット方法などが紹介されると、すぐに飛びつきます。そして、また同じ場所をぐるぐると行ったり来たりを繰り返します。そうやってまた最新の画期的な行為を習得しようとがんばります。自分が特定の結果を望みながら、その結果を遠ざけるような努力を続けます。
行為を変えても構造はまったく変わっていないからです。
構造。
ねずみの回し車をどれだけまわしても、どこにもたどり着くことはありません。それでも、中にいるねずみにとっては、それなりの達成感があり、回した数に一喜一憂するものだったりします。
うまくいかない構造の中にいると、うまくいかない構造の中で、うまくいく方法を探すことになります。一瞬はその方法でうまくいったように見えても、うまくいかない構造の中にいることは変わりません。こうしたパターンを変えるためには、一旦、自分のいる構造に氣づき、その構造から抜け出し、新しい構造を選ぶ必要があります。
どうやって? の前に 自分はどこに立っているのか?
そちらの問いかけの方が機能します。僕たちは誰もが同じ世界にいるようで、それぞれちがった独自の世界(構造)の中でうろうろしているのですから。
「ずっと同じことを繰り返している」
もし、そう感じるなら、上の階に行きたいのに、下りのエスカレーターに乗っているかもしれません。
世界がどう見えているのか?
もしかすると、あなたはその構造の中に閉じこもっているのかもしれません。
自分を変える旅から、自分に還る旅へ。