習慣の魔術:原因と結果の法則はどこまで成立するか?
(写真は長野の某ホテルで食べたモンブラン)
僕たちの世界では
原因と結果
が強く結びついているように感じられます。
オペラント条件づけの研究で有名なものに、スキナーボックスがありますね。
鳩を箱の中にいれ、一定間隔でエサを出します。エサは自動的に出てきます。しかし、たまたま羽を上げたときにエサが出てくると、鳩は「もう1回、エサを出そう!」として、たびたび羽を上げるというものです。
何度も羽を上げていると、またまたエサが出てきます。すると鳩は「やった!エサが出たぞ」というわけで、再び羽を繰り返し上げるのです。
良い結果と原因となった行動が結びついた瞬間です。
これは迷信行動といわれる、行動パターンです。
人間も同じようなパターンをずっと「学習」してきました。
ほとんどの人にとっての習慣とは、その人にとっての学習された「必勝パターン」であり、それがもはや機能しないものであると自覚しないと、なかなかその「必勝パターン」を別の「新しいパターン」へと「再学習」できないものなのです。
なぜなら、これまでそのパターンでそこそこうまくいっていた(少なくとも生き残ってはいる)のですから。
原因と結果の法則を信じる者の世界観はこういうものでしょう。
(1)的確な行動をしたら、期待通りの「良い結果」を得る。
(2)的外れの行動をすれば、期待外れ「悪い結果」を得る。
しかし、実際の世界はこのような場合も含んでいます。
(3)的確な行動をしたのに、期待外れ「悪い結果」を得る。
(4)的外れの行動なのに、期待通りの「良い結果」を得る。
ちゃんと観察すれば逆の出来事もしっかりちゃっかり起きています。
そして、(3)(4)こそが僕たちにとっての「問題」です。
僕たちが認識できる世界の範囲には限界があります。ある部屋にいれば、その部屋で起きていることの大抵のことは把握できます。しかし、壁の向こう側、となりの部屋で起きていることは見ることができません。
4次元の視覚を持っていない者には、3次元世界を見渡すことができません。その世界はいたるところが物陰だらけであり、物の向こう側は自分にとっては存在しないも同じになります。
事実として、宇宙のすべては宇宙のすべてにつながっているので、実際の世界は僕たちが考えるよりもはるかに複雑なシステムになっています。
ですから、上記の4つの世界観には、さらに追加すべきことがあります。
(3)(4)が「問題」なら、これは「大問題」でしょう。
それは「起きたかもしれないけど、起きなかったこと」。
「起きたかもしれないけど、起きなかったこと」
(5)的確な行動をして「悪い結果」が起きずに済んだ。
(6)的外れの行動をして「良い結果」が起きなかった。
(7)的確な行動をして「良い結果」が起きなかった。
(8)的外れの行動をして「悪い結果」が起きずに済んだ。
これは前半の(1)〜(4)に比べて、あまりに膨大にあります。僕たちは「起きていること」にはある程度の範囲で氣づくことができますが、「起きていないこと」に氣づくのは至難の業なのです。
そして、コンサルティングでは多くのケースにおいて、「起きていること」以上に「起きていないこと」に注意することが必要になります。これはイマココ論者にとってはまったくクレイジーで的外れな、間違っている視点のように感じられるでしょう。
でも、それこそが「易」的な視点になります。
「易」人は、未だ現象化していない潜象の兆し(ヴィジョン)を観察するのです。
「易」という漢字を僕は「バリエーション」と翻訳します。
世界は矛盾(パラドックス)にあふれています。それら矛盾を易人は並行(パラレル)として受け取ることができます。つまり、起きなかったことは、ただ起きなかったことではなく
「今の私が経験していないこと」
そのバリエーションに過ぎないのです。
さらには、自分自身の経験を選ぶのであれば、「経験していないこと」でも「経験したいと願うこと」を「今、経験していること」として、まず受け容れることが最初のスタートになります。
森羅万象すべてがある場所ある時点では「起きるかもしれないこと」なのですから。
自分を変える旅から、自分に還る旅へ。