今夜は新月ですね。
早速、多くの方がフラットランドを読んでくださったようです。
ありがとうございます。
実はこの物語は何度か日本語訳が出ていますが、いずれも現在は絶版しています。図書館で探して読むか、プレミア価格で古書を購入して読むしかありませんでした。そのため絶版しようがない形式で出すことにしました。
また、僕は学生時代に読むことができてとても幸運だったと思っているので、あの極貧時代でも3秒間以上は迷わずに手にできる価格にしました。逆にこれで迷うなら、今は手にするタイミングではないはずですので自分が必要だと思ったときに、いつでも読めばいいのでしょう。
もし、そのときにAmazonさんがなくなっていたら、僕はきっとどこかにアップロードしています。もし、そのときにインターネットがなくなっていたら…どうしましょう。そのときはまた何か手を考えているはずです。
さて。
むかし、むかし。
地下の洞窟に閉じ込められた人たちがいました。
後ろに火がともっているものの、彼らは手足を縛られていて明かりを背にして正面の壁しか見ることができないでいます。彼らはずっと目の前の壁を見てきました。
その結果、火の前を通り過ぎる物によってできる影絵こそが
この世界そのものだと思い込むようになったのです。
……これはプラトンの有名な「洞窟の比喩」です。
ここでの
洞窟に閉じ込められた人たち = 人間 のことです。
洞窟の囚人にとっては壁面の影絵、つまりフラットランド(2次元世界)しか認識できません。けれども、そのフラットランドはスペースランド(3次元世界)の影にしかすぎない、そのような例え話です。
彼らが、ちょっとだけでも「振り返る」ことさえできれば、そこにはより広い次元と世界が存在しているのにも関わらず、必死に何かを見ようと目の前の洞窟の底を見つめています。
『フラットランド』は、2次元の世界に住むスクエア(正方形)が、3次元の世界からやってきたスフィア(球体)によって、多次元の世界に「振り返る」お話です。
スクエアはスフィアという師匠、メンターから教えを受けることで様々な氣づきを得ます。さらに彼は4次元の可能性に氣づいていき、逆に自身の4次元理論によってスフィアを新しい可能性に導いていきます。
僕は時々、3次元人(僕たち人間)のことも2次元人とも呼びますが
それは実際、2次元しか見えていないからです。
片目を閉じてみてください。
すべての視界は「視界という平面」の色のちがいでしかありません。
フラットランドの2次元人には、線しか見えません。
その線を通して、縦と横の2次元を認識しています。
僕たち3次元人には、ぺらっぺらっの面しか見えません。
その面を通して、縦と横と奥行きの3次元を認識しています。
4次元人には、3次元が立体的に見えています。
立体像を通して、さらにその上の4次元を認識しています。
直接目で見えるものが世界のすべてでないことは
どの次元人でも、よく知っていることです。
僕たちが目の前の世界を見つつ、それとは真逆の方向へ「振り返る」としたら……
そこにあるのは次元Xかもしれない。
パーソナル・パワー。
自分を変える旅から、自分に還る旅へ。