多次元についての本。
その最後の解説部分、あとがき?を書いていました。その原稿に、今年訪れた台北101のことを書いています。そこで載せようとしていたのが、この写真。そこからの光景について触れています。
高いところに上ってみると、世界がフラットに見える、なんてことがありますね。
例えば、地球を少し大きなビーチボールくらいのサイズで抱えると、人間が暮らすことのできる地上のスペースの厚さは1ミリ以下だといいます。そのような薄い膜の中で暮らしている。それが僕たち人間というわけです。
また、僕らは紙っぺらを、2次元だと思っていますが
実際には3次元です。
紙に表と裏があるのは、厚さがあるからです。
視覚について考えてみると、僕たちは世界を2次元として見ています。2つの眼球から入った2次元情報を脳内で3次元っぽいイメージとして認識しています。ですから、実際には3次元を見渡すことはできません。見渡すことができるのは、ほとんど妄想に近いイメージとして、です。
4次元人がいたとして、彼らが僕らを見たら、今朝何を食べたのか? 胃の中で消化されている食べ物まではっきり見渡すことができるはずです。ちょっと考えると氣味が悪いですね。
一方で、今度は僕たちが2次元の世界を見たら、そこに隠すことのできる2次元の物体はありません。その内部の構造まではっきりと見渡すことができます。僕たちは2次元の視界に関してはマスターしているわけです。
そんなふうに考えると、僕たちって2次元人?
ときどき思います。
ちょっと突拍子もない想像ですが
でっかいウルトラマンが僕たちの上を走っていくと、巨大な足につぶされるかどうかはまったくの運次第です。どうかつぶされないように、と祈ろうが、必死にアファメーションしようが、ウルトラマンの足が落ちてくるかどうかに、まったく関係ありません。
けれども、その僕たちが上を向くことができれば、運に頼らなくてもよくなります。ウルトラマンの動きを見て、巨大な足底が落ちてくる場所を予測し、するっと回避することができます。
上を向くことができない本当の2次元人であっても、ある種の2次元人たちは、このウルトラマンの足の動きをイメージできているのかもしれません。
自分を変える旅から、自分に還る旅へ。