> 自分の選択が、本当に自由意志による選択であるか?
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選択がひとつの結果であれば、その原因は「自由意志による選択」ということになりますよね。そこで、よく考えてみると……その原因ですら、何かの結果にしか過ぎませんから、あらゆる意志選択は
無限後退しがちです。
無限後退とは、正当化の連鎖が拡散することです。
自由意志はあるか?
自由意志でそれを選んだと主張する存在に「なぜ?」とたずね、
A:その問いに答えられるなら、
→ その理由の理由の理由…(以下、無限後退)の根拠があるし
= 結局、自由意志で選んだわけではないよね (主体の拡散)
B:その問いに答えられないなら、
→ 初めから選択自体に意志があったと言い切れないわけで
= 結局、自由意志で選んだわけではないよね (主体の不在)
円を無限に拡げていき無限に後退していくと、やがて意志自体が溶けて消えていきます。宇宙のすべては宇宙のすべてと繋がっているわけですから、今、目の前で何かが起きている理由根は理屈上、宇宙の円周まで拡散していきます。
その選択についての全幅の確信や信頼が無いのであれば、
「じゃぁ、それってサイコロを振っているのと同じでいいよね?」
(自由意志 = たまたま・乱数・ランダム・偶然)
つまり、
そこに選択した「わたし」という存在はいないのです。
その瞬間、すべての「選択していること」は、
途端に「選択させられていること」に閉じこめられます。
これと同じように、もしも、あなた自身がその円の拡散を収束させていく視点を持つのなら、その中心点に、選択した「わたし」は確かに存在します。
以上が、センタリング、スファエラの解説です。
僕たちは、自分の原点をどこに置くこともできます。それは、「どこかに置かなくてもいい」(拡散)のと同じくらい、「どこにでも自由に置くこと」(収束)ができます。
そのために必要なステップはありません。
氣づいた瞬間に、ただ選ぶだけ。
自分が自分であることの体感にもとづいて。
その「自由意志」を発動することによって。
この宇宙にたったひとりの自分を謳歌してください。
そのために歴史に埋もれてしまった
錬金術師たちの知恵を使っていただけたら
これ幸いです。
自分を変える旅から、自分に還る旅へ。