お金と自己表現

可能性についての話。

NULL(ヌルとかナルという)

NULLはゼロではないけど、最初は「いったい何がちがうの?」って思いましたよね?

値が存在しない(NULL)ことと、値がゼロ(0)であることはまったくちがいます。

ゼロには+1したら、答えは1です。

NULLには+1したら、答えはNULLです。

多くの人が、この意味でゼロを混同します。

先日は易システムを解説する話の中で、道徳経のこんな言葉を紹介しました。

>道は一を生み、一は二を生み、二は三を生み、三はあらゆるものを創りだす。

様々な解釈があるものの

僕はこの言葉をビッグバンのような圧倒的なエネルギーをもって感じます。

それがパーソナル・パワーです。

僕たちは、「無い」ところからやってきて

外側の無数の幻想によって埋められ、位置づけられた存在ではありません。

僕たちは、圧倒的に「在る」という領域からやってきています。

それは「無い」に対しての「在る」というわけではありません。

在るものを、圧倒的に無いもの、にすることはできません。

無は在るを前提としたリテラル値。

定数でも変数でもない無は

けして、何も無いわけではありません。

ここで、純粋に何も「無い」状態をイメージしてみてください。

そこに「無い」ものを見てください。

それはいつだって「何かが無い状況」で

頭の中の「無い」は、それ自身が独立して

そこに存在できるものではありません。

在ることの否定、その意味での無いは

言葉によってはじめて存在することができます。

そして、その否定は言葉の世界の中でだけ存在できるものです。

無いことすら無い状態があったとしたら?

否定は可能性を閉じるためのものではなく

その否定はどこかで可能性を開いていたりもするんです。

宇宙開闢の歌 Creation.
(うちゅうかいびゃくのうた)
リグ・ヴェーダ讃歌より引用。マッキー勝手訳。

そのとき 存在するものも存在しないものも無かった
空間をも それをおおう天空すら無かった
いったいそれは何におおわれ 何処にあり 何の下にあったのか
そのとき そこに深い底なき源の水はあったのだろうか

そのとき そこには終わりが無く 同時に永遠も無く
昼と夜の境界も無ければ その変化の前兆も無かった
かのひとつのもの それ以外には いかなるものも存在せず
風なくも それはただそれ自身によって 呼吸をしていた

そのとき 虚無はただ虚無の中にあり 混沌と離れていなかった
ありとあらゆるは虚空にて形状を持たず 偉大な熱はそこから生じた

以来 意がはじまったのだ それは魂の最初の核心となる
知性は その心を 存在なき無の中にこそ発見する

それは高くもなければ 低くもない ひとつの境界線
こちらに陽 あちらには陰 その間に展開を生む深遠な力

創造がどこから生じ やってきたのか 宣言できる者はいるか
創造すら創造した存在など 存在しているといえる者はいるか

創造は創造をかたち創ったのか それともかたち創らなかったのか
最上位の視点は それを知ることも 知らないこともできるだろう

自分を変えるたびから、自分に還る旅へ。

ABOUT ME
マッキー
牧野内大史(まきのうち ひろし)作家、コンサルタント。著書に『人生のシフト』(徳間書店から)スピリチュアル翻訳者として著名な山川紘矢さん 亜希子さんご夫妻 あさりみちこさんとのセッション本(ヒカルランドから)や、監修翻訳を担当した『ソウル・オブ・マネー』(リン・ツイスト著)等がある。2014年にIFEC(国際フラワーエッセンス会議)に日本人ゲストとして登壇した。長野市在住。