ホワイトボード。
情報が書き換わるとき、多くの人が想像するのは、ホワイトボードに一度書かれたものをクリーナーで消して、そしてあらためて書き直すようなイメージかもしれません。
そこに書かれた、「情報」ってなあに?
あるサイコロが 「1」 もうひとつのサイコロも 「1」
このとき2つのサイコロが語っている情報は、同じ「1」なのか、どうか?
クロード・シャノンによる情報の定義とは、
「不確実性(エントロピー)の減少」
のことです。それはどういうことかというと、その情報には、切り取られたバリエーションが関わってくるよ、と。
この正6面体↓サイコロのバリエーション
1 2 3 4 5 6
この正12面体↓サイコロのバリエーション
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
ちなみに、このコインだと
0裏 と 1表
これら3つの情報状態はすべて「1」ではあったとしても、12面のサイコロの方が多くを語っていることになるよ、と。それは、何を語ったか? はもちろんのこと、何を語らなかったのか? ということも情報に含まれるよ、というわけです。
他にも例えば、古代易経では、八卦という統合された情報で占いを行います。それは八卦を2つを統合させて観ていきます。棒(爻)のひとつひとつはコインのように2つの情報状態しか持ちませんが、これが6本組み合わさって統合されると、64のバリエーションを持つことになります。
つまり、目の前に出た64卦は「他の63卦ではない」という意味です。
これら個々のサイコロも単なるバラバラの面ではありません。いくつかの面がひとつに統合されています。その統合点に注目すると、情報そのもの、はもちろん。実は、それが置かれたコンテクスト(背景世界)が、そのコンテンツ(情報内容)の意味を生み出していることがわかります。
日本で手のひらを挙げるサインは何の失礼でもないけど、ドイツで手のひらを挙げると、これは異常なジェスチャーになります。その行為の意味を決めているのは、その行為自身ではなくて、コンテクスト(背景世界)です。
それでは、そのコンテクストを生み出しているのはいったい何でしょう?
ぜひ、今日一日に起きる、コンテンツとコンテクストの関係を観察してみてください。
コンテンツは、コンテクストによって決まる。そのコンテクストを決めているもの、それはコンテンツではない。それは、もっとも遠くに描かれた円周であり、もっとも近くに置かれた中心点である。
それってなあに?
それは、一切のコンテンツに同一化されない「◯◯」のことです。
このことが理解できると意識パターンの書き換えは、プリンターで上書き印刷するようなイメージではなくなります。きっと、アファメーションという言葉の定義も変わってしまうでしょう。すべてはコンテンツにコンテンツをぶつけるような性質のものではないのですから、ぶつけるものとぶつかるものの間にあった距離や葛藤は消えてしまうのです。
それは、世界そのものがシフトするということです。
長々と書きましたが、それが起きる道はとってもシンプルなものでしょう。
これまでずっと固定されていると思い込んでいた世界が
ちっとも固定されていなかったことに、ふと氣づくだけ。
パーソナルパワー。
自分を変える旅から、自分に還る旅へ。