あわれにも弟が収監される姿を見ていた私は、すぐに議会へ向かって飛び降りようとした。弟をどうにかして助けたい、それが無理だとしてもせめて別れを告げたい、と思ったからだ。ところが、自由に体が動かない。スフィアは暗い声でいった。
「今は弟さんについて思い悩まないように。彼のことを悲しむ時間は後でたっぷりとある。私と一緒に来なさい」
そして私たちは再び空間を上昇していった。
「これまでは、平面図と、その内部だけを見てきた。次は君に立体を紹介していこう。立体とは、どのように構成されているのかを。
見て、ここに正方形のカードがたくさんある。
この1枚のカードの上に、別のカードを置く。けして北ではなく、上へと置いていくのだ。さらに2枚、3枚と。ほら、そうするとカードを重ね合わせた立体ができた。
長さと幅、それに加えて、高さ、がある。私たちはこれを立方体と呼んでいる」
「ちょっといいですか、私には内部がむき出しとなった不正規の図形が見えます。別の表現でいえば、フラットランドで推測してきたような平面図形が見えます。これは、恐ろしい罪人のような、不正規の図形です」
そうか、とスフィアは言った。
「君の目には平面に見えるのか。というのも目が光と影、そして遠近感に慣れていないからね。これはフラットランドでは五角形が直線に見えるのと同じようなものだ。しかし、実際にはこれが立体なのだ。君もふれてみればわかるだろう」
そういってスフィアは、私を立方体の近くまで連れて行った。そして、私にはこの素晴らしい形が平面ではなく、立体であることがわかった。立方体には、6つの平面があり、8つの頂点があった。スフィアが前に、正方形が空間の中を平行に動いたとしたら、と説明してくれたことを思い出した。私もある意味では、このような輝かしい存在の先輩でもある。そうと考えると私は嬉しかった。
しかし、スフィアが説明した「光」と「影」そして「遠近感」については、まだよく理解できなかった。そこで私はその疑問をためらうことなくぶつけた。
この疑問に対してのスフィアの解説をここに書いてしまうと、スペースランドのあなたには退屈な話だろう。
すでに知っていることだからね。
そこで、こうしておこう。スフィアは物や光の位置を変えつつ、ときに彼自身の身体を私にふれさせながら、説明してくれたおかげで、私はついにすべてを理解することができた。そして、私は円と球を。平面図形と立体を。簡単に見分けることができるようになった。
これは私の奇妙なことであふれた旅の、まさに至福のクライマックスだった。残念なことに、これ以降は、私のみじめな転落について話していくことになるだろう。もっともみじめで、もっとも不公平な我が破滅について。知識を強く求めたとして、なぜそれが罰せられなくてはならないのか? この屈辱について思い出そうとすると絶望でくじけそうになる。
しかし、私は第二のプロメテウスだ(プロメテウスとは、ギリシャ神話に出てくる巨神。火を盗んで人間に与えた罰として鎖でつながれることになった)。私たちの次元を、2次元、3次元、それら有限に限定してしまう思い込みを解き放つこと。どうにかして平面や立体の人々を目覚めさせることができるのであれば、私はどうなろうとかまわない。さあ、この物語を最後まで続けよう。
これ以降は脱線したり先回りしたりせず、私の脳みそに焼き付けられた事実を変更せず正確に書き写しておきたい。
そして、最終的な判断はこれを読んでいるあなた自身にゆだねることにしよう。
おそらくスフィアは、このまま、すべての基本的な立体、円柱、円錐、ピラミッド、五面体、六面体、十二面体、球体などについて詳しく教えてくれるつもりだったのだろう。しかし、あえて私は彼の話を中断させた。知ることに疲れたからではない。逆だ。私は、彼が教えてくれるよりも、さらに深遠なるすべてを渇望していた。
「失礼ですが、スフィア。私はついに、あなたが完全な美の存在ではなかったことに氣づいてしまいました。できたら、さあ、あなたの内側を見せてください」
スフィア:え、なんだって?
私:あなたの内側ですよ。胃や腸さ。
スフィア:なぜ突然、そんなことを? それに君のいう、私が完全な美ではない、というのはどういう意味なのだ?
私:私はあなたの知性にふれることによって、世界の本当の姿が見え、そしてある望みを持つようになりました。それは、あなたよりもさらに完全で、もっと素晴らしく美しい存在にふれることです。
あなたはたくさんの円が統合された存在ですから、フラットランドのどの図形よりも優れている。それならば、たくさんの球体が統合された存在、スペースランドの立体を超える存在があるはずです。この3次元の空間からフラットランドを見下ろし、あらゆる図形の内部を見ている今この瞬間にも、もっと高くてもっと純粋な領域があるのでしょう。そして、きっとあなたは私をその世界へ導いてくれるおつもりですね?
私にとって、あなたはどの次元に行こうとも、尊敬すべき師であり、友人です。さらに次元の高い世界へ連れて行ってくだされば、私は立体の内面もすっかり見渡すことができるのでしょう。ですからスフィア、あなたの内側を見せてください、とお願いしたのです。
スフィア:ばかなことを! そんな話はたくさんだね。時間は限られているのだ。3次元の福音を、盲目なフラットランドの人々に伝えていくためには、君はもっとたくさんのことを知る必要がある。
私:いいえ、あなたは素晴らしいメンターさ。
私には、あなたがそれだけの能力を持っているとわかっていますよ。あなたの内側をちょっとだけでも見せてくだされば、私は満足できる。あとは、すべてあなたのおっしゃる通り、あなたの言葉を受け入れ、忠実で従順な弟子になりますよ。
スフィア:いいだろう、ではこういえばよいかな。もし、私にそれができるのであれば、そうしよう。だがね、できないのだよ。君は私に、私の胃を裏返しにして見せろとでも言うのか?
私:しかし、あなたは私を3次元の世界へとつれてきて、2次元の世界のあらゆるものの内側を見せてくれたじゃないか。となれば、4次元の世界へと連れていくのも、簡単なことでしょう。その次元からであれば、この3次元のすべてを見降ろして、あらゆる家の内側、立体の大地の神秘、スペースランドの鉱山の宝物、そして、すべての生き物の、スフィア、あなたの内側も見渡すことができるはず。
スフィア:しかし、その4次元の世界はどこにあるのだい?
私:知らないさ。しかし、あなたならわかるでしょう?
スフィア:私だって知らない。そのような世界は存在しない。4次元なんてあるはずがないだろう。
私:私にはありえる。それなら師であるあなたにとっては、もっとありえるはずさ。私はあきらめませんよ。2次元の世界で、私の目を開かせてくれたように、3次元の存在について教えてくれたように、どうぞ4次元を見せてください。
ちょっと思い出してみてください。フラットランドで私は線を見ていました。その線の明るさなどから、これは平面図形だと推察していましたが、この目で見えたわけではありません。ところが実際には、私には見えないはずの第3の次元があって。それは明るさではない、「高さ」と呼ばれるものを、すでに認識できていたのではないでしょうか?
さらにこのスペースランドでは、私に見えているのは平面だけです。それでも、光と影から色のちがいによって立体だと推察できています。これは目で見る色とはちがう、微かで計りがたい何か、確かに存在するものを見ていることになるのではないでしょうか?
さらに、これは図形のアナロジーで考えることもできます。
スフィア:アナロジーだって? ナンセンスだな。それはどんなものかい?
私:あなたが私に伝えた啓示への理解を確かめようというわけですね。いいでしょう、私はさらなる知を求めています。間違いなく、私は私自身の目でスペースランドを見ることはできません。なぜなら腹に目がついていないからです。
しかし、ラインランドのちっぽけな王様は右にも左にも向くことができず、認識もできなかったにもかかわらず、フラットランドは確かに存在しています。これと同じように、私の盲目には見えず、ふれる力もないのに、手を伸ばせば届くほどの近くに3次元の世界は存在していて、私の枠組みに接しています。
これらの事実からも、同じように4次元も確実に存在します。あなたは思考という内なる目によって、それを認識しています。あなた自身が私に教えてくださったことを、お忘れですか?
1次元では、点が動くと2つの端点を持つ線ができます。
2次元では、その線が動くと4つの端点を持つ正方形ができます。
3次元では、その正方形が動くと、これは私の目には見えないものの、8つの端点を持つ聖なる存在、キューブ(立方体)ができます。
さらに4次元では、立方体が動くと、アナロジーによれば、真実の成り行きからしてこうでなくてはなりません。16の端点を持つさらに聖なる生き物が生まれるはず。2、4、8、16、この数列を確認してください。これは等比数列ですよね?これは師匠のお言葉通り「アナロジーに厳密に従って」いますよね?
また、あなたはこうもいいました。線には境界となる点が2つあり、そして、正方形には境界となる線が4本ある、と。それならば、立方体には境界となる正方形は6つなくてはいけませんよね。ここでもう一度、2、4、6の数を確認してみてください。これは等差数列でしょう?ですから聖なる立方体の、さらなる神聖な子孫には、境界となる立方体が8つあるはず。これも師匠のお言葉通り、「アナロジーに厳密に従って」いますよね?
私は事実を知りませんから、それを推測するしかありません。お願いですから、この論理的な予測への判断を下してください。もし私の考えが間違っているなら、もう二度と4次元を望むことはありません。もし正しいと思われたなら、この理屈に耳を傾けてください。
ですから、どうか教えてください。これまでスペースランドでは、より高い次元の存在が降りてきたのを目撃したという人はいませんか?ちょうどあなたが私の部屋に入ってきたときのように、閉ざされた部屋に降り立った存在が、自由に姿を現したり、姿を消したりするのを目にしたことはないでしょうか?私はこの問いの答えにすべてを賭けます。これが否定されるなら、後は静かにしています。お願いです、答えてください。
スフィア:……そのような報告は聞いたことがある。しかし、それが事実かどうかについては意見が分かれている。たとえそれが事実だったとしても、その出来事は様々な方法によって説明できるだろう。そして、いかにたくさんの説明があろうとも、誰も4次元の理論を認めることはなかった。さあ、くだらない話は終わりにして、本題に戻ろう。
私:確信しました。それは私の予想通りです。最高の師よ、もうひとつ質問に答えてください。そうやって姿を現し、そしてどこかへ消えた。どこから来たかもわからず、どこへ行ったかもわからない。その者たちも、体の部分を縮めて、私が願う広大な空間へと消えていったのではないでしょうか?
スフィア:確かに、彼らは消えた。そもそも、本当に現れたのかすら、はっきりしていないがね。しかし、こうした光景は脳が起こした幻覚や、といっても君は理解できない言葉かもしれないが。精神がおかしくなった預言者のたわごとだろう。
私:そんなふうに言われているのか?ああ、信じられない。もしそれが幻覚であれば、それこそ本当のソートランド、思考の国そのものさ。私をその神聖な領域へ連れて行ってくだされば、思考によってあらゆる立体の内側を見渡せるだろうに。
その空間でなら、立方体はまた別の、新しい方向へと動くはず。厳密なアナロジーに従えば、その動きによって立方体の内側のすべての粒子は、新しい種類の空間を通り抜け、立方体よりもさらに完全な存在になる。端点を16個、立方体という境界線を8つ持った存在ができるはずだ。
スフィア、私たちはさらに上を目指すことができるはずです。4次元の聖なる空間にいるということは、5次元空間の入り口にいるわけです。それなのに5次元には足を踏み入れることができないとでも?いいえ、そんなはずはない。限界はない。身体の上昇につれ向上心を高め、知的な発想を広げてさえいけば、6次元へも。さらに7次元へ、さらには8次元へと……。
いったいどれくらい話し続けていたのだろうか。スフィアは雷のような声で、静かにしろと命じていたが、止まらなかった。夢中になった自分からあふれ出てくる意志を止めることができなかった。おそらく、これはすべて私に責任がある。しかし、スフィアが飲ませた真実というものに私はすっかり酔っ払ってしまっていたのだった。もうすぐすべてが終わろうとしていた。突然、私の言葉が内側と外側で同時に砕け散った。そして空間の中へ猛スピードで押しやられていった。
落ちる! 落ちる! 落ちる!
急速に下へ降りていく。そう、フラットランドへ戻るのだ。最後にひと目、けして忘れられない光景を見た。それは下に広がる平らな荒野だった。それは再び、私の世界となる。それからあたりは闇に包まれ、すべての終わりを告げる雷鳴がとどろいた。
目覚めると、私は再び、地をはいまわる正方形になっていた。妻が近づいてくる平和の叫びが書斎には響いていた。
『フラットランド―二次元の世界から多次元の冒険へ』
エドウィン・アボット・アボット(著) 牧野内 大史 (翻訳)
つづく…… 第20章 多次元の冒険 覚醒
自分を変える旅から、自分に還る旅へ。