クラブ内では時々ふれてキーワードにしていた
2016年の11月があっという間にやってきていました。
今年の年末になったときは、誰もが自分なりの2016年を振り返り
その誰もが「こんなことが起きるもんだね」と振り返るのではないでしょうか。
さて。
詩や音楽は、時間のなかに存在する。
絵画や建築は、空間の一部だ。
それに対して、ダンスは
空間と時間のなかに同時に存在できる唯一のものである。
ライアル・ワトソン『未知の贈りもの』から――
ダンスとは、その性質上
創造する者と創造されたもの
アーティストとその表現作品とが一体のものです。
創り出す側と、創り出された何か、があるわけではなく
それは、けして切り分けることのできない相補対待です。
それはつまり、参加している。
さらに宇宙をかたちづくっているのも
「参加」だといいます。
僕たちは、誰も「参加」せずに
物事をただ外側から見守るなんてことはできないからです。
「ただ見る、けれども、参加はしない」
そんな立場はどうやっても不可能なんです。
参加とはひとつのパープルクレヨンです。
量子理論で明らかになったことは…
「ただ見る」だけで
すでに僕たちはその見ている世界に「参加している」ということでした。
参加しているということは、それに参加する自分が存在しているということです。
それでは。
いったいその自分とは何者なんでしょう?
パーソナル・パワー。
自分を変える旅から、自分に還る旅へ。