脱 自己啓発・脱 スピリチュアル

ナグ・ハマディ文書の「マリヤの福音書」

写真は、エジプト考古学博物館で見た「イスラエル碑」(撮影:牧野内)

ナグ・ハマディ文書(ナグ・ハマディ写本)とは、1945年に上エジプト・ケナ県のナグ・ハマディ村にて発見された、初期キリスト教文書のことをいいます。

二十世紀最大の考古学的発見、ともいわれています。

研究者を驚かせたのは、その文書の多くが
「グノーシス主義の教えにもとづくものだった」ということでした。

グノーシス主義、グノーシス思想は、
現代のスピリチュアルや、オカルティズムの源流とも、いわれています。

一神教の起動点は、「モーセの十戒」にあります。

ヤハウェ(これは神の名前ではなく「being(存在する存在)」という意味)によって、人を裁くための法をモーセが受け取ることによって、一神教が起動する。その後、一神教によって排斥されていった派閥、グノーシスは異端・非正統派として迫害されながらも、錬金術、秘密結社、空海の密教、弥勒菩薩、その他、思想の中に、多大な影響が残されています。

今回、ご紹介するのはナグ・ハマディ文書、

その中でも、特に興味深い文書として「マリヤの福音書」があります。
(ここでマリヤとは、マグダラのマリアのことです)

牧野内の note
https://note.com/makinouchi

今回、
noteさんで開催しているクラスにて、グノーシス思想について扱ったとき、「マリヤの福音書」についても触れました。この「マリヤの福音書」は欠損が多く、短い内容であるものの、あまり引用されることもなく、絶版などで手に入りにくい状況もあるようなので、その全体像を資料としてここにアップしておきます。

この福音書では、マグダラのマリア自身が、イエス・キリストから幻の中である秘儀を受け取るのですが、それについて他の弟子について伝え、その内容について疑問の声があがり、ペトロからは激しく非難され、マグダラのマリアは泣いてしまう、そんなお話です。

※ 残存する部分から最初の【7】【8】を省いて、マグダラのマリアが語りはじめる【9】から【19】までの、ほぼ全文を網羅するようにしています。

また、本文の細かい設定を省略し、マッキー勝手解釈でリライトと補完した部分があり、正確な引用ではありません。()は内容の意味を補足するために牧野内が追加したもの。クラス用の資料として、正確な文献の引用ではなく、ナグ・ハマディ文書のストーリー、そのアウトラインをとらえるために、必要十分を意図したものとなります。

ナグ・ハマディ文書の「マリヤの福音書」

== 引用 ここから ==

【9】「私があなた方(弟子たち)のために指図したこと、それをこえて何かを人々に課するようなことをしてはならない。法制定者のやり方で法を与えるようなことはするな。あなたがたがその法の内にあって、支配されるようなことにならないように」
 彼(復活したイエス)はこれらのことを言った後、去って行った。

 すると彼ら(弟子たち)は悲しみ、大いに泣いた、「人の子の王国の福音を宣べるために異邦人のところに行くといっても、我々はどのようにすればいいのか。もし彼らがあの方を容赦しなかったとすれば(イエスが処刑されたことを指す)、このわれわれを容赦することなどどうしてありえようか」と言った。

【10】ペトロがマリヤに言った、「姉妹よ、救い主が他の女性たちにまさってあなたを愛したことを、私たちは知っています。あなたの思い起こす救い主の言葉を私たちに話して下さい、 あなたが知っていて、私たちの知らない、 私たちが聞いたこともないそれらの言葉を」。

 マリヤが答えた。「あなた方に隠されていること、それを、私はあなた方に告げましょう」と言った。そして、彼女は彼らにこれらの言葉を話し始めた。

「私は幻の中で主を見ました。私は彼に言いました、『主よ、あなたを私は今日、一つの幻の内に見ました』。彼は答えて私に言われました、『あなたは祝福されたものだ、私を見ていても動じないのだから。 というのも、叡知あるその場所に宝があるのである』。

 私は彼に言いました、『主よ、幻を見る人がそれを見ているのは、心魂か霊か、どちらを通してなのですか』(人間を、①肉体 と ②心魂、そして本質的な ③霊 の、3つの組み合わせとして考えている。心魂は精神的な実体のことで、肉体と対となるもの。霊は神的性質のことで現在の魂に近い概念。マリヤはこの幻を、心魂の目と、その中心核の霊をもって、経験している)。

 救い主は答えて言われました、 『彼が見るのは、心魂を通してでもなければ、霊を通してでもなく、それら二つ(心魂と霊)の真ん中にある叡知、幻を見るものはその叡知であり、その叡知こそが……(11〜14は欠損)

【15】……を。そして欲望(これは後ほどの内容からわかるが、心魂が第二の権威の「欲望」の前に、第一の権威「闇」を通過してきた部分が欠損しているようだ)が言った、『私はお前が降るところを見たことがないのに、今お前が昇るところを見ている(心魂が7つの権威・階層を超えて、昇って行こうとしていることを指す)。お前は私に属しているのに、どうして私を騙すのか(人間は欲望の奴隷で、欲望によって騙され支配される存在のはずなのに、なぜ)』。

 心魂が答えて欲望に言った、『私はあなたを見た。あなたは私を見たこともないし、私を知覚したこともない。私はあなたにとって着物のようなものであったのに、あなたは私を知らなかった(私の内側にはずっと欲望がいたはずなのに、欲望は私を認識できなかったでしょう)』。これらのことを言った後、心魂は大いに喜びつつ、去って行った。

 それから、心魂は第三の権威、無知と呼ばれるもののところに来た。その無知は心魂を尋問した、『お前が行こうとしているのはどこへなのか。 お前は悪の内に支配されてきた。お前は支配されてきた。裁くな(人間は無知によって支配され、無知ゆえに与えられた法で人を裁くようになる。お前は裁かれる側だ、と主張する)』と心魂に言って。

 そこで、心魂は言った、『あなたが私を裁くのはなぜなのか、私は裁いたりしたことなどないのに。私は支配したことがないのに、私は支配されてきた。私は知られなかったが、私の方は、地のものであれ、天のものであれ、すべてものが解消しつつあるときに、それらのものを知っていた(無知ゆえに私は支配されてきたが、今は無知ではない = グノーシスを得ているので、無知は私を認識できなかったでしょう)』。

【16】心魂は第三の権威にうち勝ったとき、上の方に去って行った。そして第四の権威を見た。それは七つの姿をしていた。 第一の姿は闇であり、第二のは欲望、第三のは無知、第四のは死ぬほどの妬みであり、第五のは肉の王国であり、第六のは肉の愚かな知恵であり、第七のは怒っている人の知恵である。これらが、怒りのもとにある七つの権威なのである。

(権威① 闇、権威② 欲望、権威③ 無知、権威④ 死ぬほどの妬み、権威⑤ 肉の王国、権威⑥ 肉の愚かな知恵、権威⑦ 怒っている人の知恵 )

 彼らが心魂に『人殺しよ、お前が来るのはどこからなのか。 それとも、場所にうち勝った者よ、お前が行こうとしているのはどこへなのか』と尋問すると、心魂は答えて言った、『私を支配するものは殺された。私を取り囲むものはうち負かされた。そして私の欲望は終りを遂げた。無知は死んだ。世界にあって、私が解き放たれたのは世界からであり、【17】また範型(はんけい)の内にあって、私が解き放たれたのは天的な範型からであり、一時的な忘却の束縛からである。今から私が沈黙の内に獲ようとしているのは、時間の、時機(とき)の、そして永久の安息である』」

 マリヤは以上のことを言ったとき、黙り込んだ。救い主が彼女に対して語ったのはここまでだったからである。

 すると、アンドレアスが答えて兄弟たちに言った、「彼女が言ったことに、そのことに関してあなた方の言いたいと思うことを言ってくれ。救い主がこれらのことを言ったとは、この私は信じない。これらの教えは、異質な考えのように思われるから」。

 ペトロ(アンドレアスの兄弟)が答えて、これらの事柄について話した。彼は救い主について彼らに尋ねた、「まさかと思うが、彼が我々に隠れて一人の女性と、しかも公開でではなく語ったりしたのだろうか。将来は、我々は自身が輪になって、皆、彼女の言うことを聴くことにならないだろうか。救い主が彼女を選んだというのは、我々以上に(信頼していたということ)なのだろうか」。

【18】そのとき、マリヤは泣いて、ペトロに言った、「私の兄弟ペトロよ、それではあなたが考えておられることは何ですか。私が考えたことは、私の心の中で私一人で考え出したことと、 あるいは私が噓をついているとすれば、それは、救い主についてだと考えておられるからには」。

 レビが答えて、ペトロに言った、「ペトロよ、いつもあなたは怒る人だ。今、私があなたを見ていると、あなたがこの女性に対して格闘しているのは、敵対者たちのやり方でだ。 もし、救い主が彼女をふさわしいものとしたのなら、彼女を拒否しているからには、あなた自身は一体何者なのか。確かに救い主は彼女をしっかりと知っていて、このゆえに我々よりも彼女を愛したのだ。 むしろ、我々は恥じ入るべきであり、完全なる人間を着て、彼が我々に命じたそのやり方で、自分のために完全なる人間を生み出すべきであり、福音を宣べるべきである。救い主が言ったことを越えて、他の定めや他の法を置いたりすることなく」。

【19】(欠損)たとき、彼らは告げるために、また宣べるために行き始めた(ここで弟子たちは、それぞれ宣教に出発する)。

== 引用 ここまで ==

・引用元、参考元の文書:『ナグ・ハマディ文書〈2〉福音書 』
 荒井 献 (翻訳), 小林 稔 (翻訳), 大貫 隆 (翻訳), 筒井 賢治 (翻訳) 岩波書店より (1998年)
・文責:牧野内 大史 (勝手編集と括弧内の解説追加)

マリヤ(マグダラのマリア)が語った内容について、弟子のアンドレアスやペトロは動揺して、内容を受け取ることができません。なぜなら、彼らはこの秘儀についての情報を与えられていなかったからです。そのため、マリヤに対して嫉妬し、責めて、ついに彼女は泣いてしまいますが、レビは「怒る人」であるペトロを一喝します。

内容としては、七位階の秘儀(ミトラ教)と同様の内容を解説しているようですね。

イエスは、もともとユダヤ教の「エッセネ派」だったという説があります。

その「エッセネ派」についていえば、実状は「ユダヤ教を入り口としたミトラ教」であり、その奥に神秘的な密儀を持っていました。後のキリスト教にも、部分的には同様のことが起きていたようです。

この点において、筒井賢治氏の書籍(グノーシス 古代キリスト教の異端思想)では、

「彼ら(プトレマイオス派)は、多数派教会のキリスト教を自派のキリスト教に対する入門編のようなものとして積極的に利用していたという可能性」について指摘されています。

グノーシス (講談社選書メチエ)

それは、一神教であるユダヤ教や、キリスト教などを、なかば「入門編」とし、その実「入門編の奥の実践編」は、神についての概念がまったく異なるアンチ一神教、グノーシス的な世界観があったという、そんな構図です。

(さらには、イエス・キリスト自身も同じように、一般向けの教えである「顕教」と、親しい弟子へのミトラ教的な「密教」と、2段構えで説いてた……なんてことを推測したとしたら、考えすぎでしょうか?)

このように、キリスト教の正統派と異端の関係は、単純な対立構造でとらえることはできません。

グノーシスの神話体系の中では、お互い、巧妙に要素を取り込んでいます。同じ物語がその立場の違いによって、まったく意味が変わって(転換されて)見えるような構造となっていて、とても興味深いものがあります。

ABOUT ME
マッキー
牧野内大史(まきのうち ひろし)作家、コンサルタント。著書に『人生のシフト』(徳間書店から)スピリチュアル翻訳者として著名な山川紘矢さん 亜希子さんご夫妻 あさりみちこさんとのセッション本(ヒカルランドから)や、監修翻訳を担当した『ソウル・オブ・マネー』(リン・ツイスト著)等がある。2014年にIFEC(国際フラワーエッセンス会議)に日本人ゲストとして登壇した。長野市在住。