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第4章 フラットランドのご婦人

第3章のつづき

兵士階級の尖った三角形が手強いのなら、私たちの世界のご婦人がさらに手強いことは簡単に予想できるだろう。兵士がクサビだとしたら、ご婦人は針なんだから。いわば全身が、少なくとも2つの先端は点になっている。加えて意のままに姿を消すことすらできてしまう。この世界のご婦人はけして粗末にはできない、敬意をはらうべき存在だ。

しかし、これを読んでいる人の中にはフラットランドのご婦人がどうやって姿を消すのか疑問に持つ人もいるかもしれないね。

これは説明なくとも明らかなことだが、念のために少し書き加えておこう。

テーブルの上に針を置く。それから、あなたの視点をテーブルと同じ高さにする。この針を横から見るなら針全体の長さが見えるが、針先から見るならそこには点しか見えない。針は見えないも同然ってことだ。

フラットランドのご婦人もこれとまったく同じこと。横を向いているなら私たちは彼女がまっすぐな線として見えるけど、目や口のある端の方……私たちの目と口は同じ器官なのだけど、その端をこちらに向けるなら、とても強い光を放つ点が見える。でも、こちらにお尻を向けているときなら、そこにはほぼ物質のように薄暗い光があるだけ。彼女にとって後ろの端は、姿を見えなくする帽子のような役割をするわけだ。

この世界のご婦人はどれほど危険な存在なのか、すぐにわかっただろう。中流階級の三角形の角すら危険がないわけじゃない。労働者階級の男性にぶつかったらケガをするし、兵士階級の将校とぶつかったのなら大ケガ、下っぱ兵士の頂点にただふれるだけでも死の危険がある。これがご婦人だったら絶対に即死だよね。しかも、ご婦人は見えない、というか、薄暗い点が見えるだけなんだ。ぶつかるのを避けるためにいつも注意深く慎重であり続けるのはとても難しい。

この危険を最小限にするため、異なる地域、異なる時代に、色々な法律が決められてきた。特に引力が大きくて温暖ではない南の地方では、人は思わぬ動きをしてしまうことがあるからね、 ご婦人に関する法律は自然と厳しいものになる。まあ、それでもご婦人についての規則をまとめるならこんな感じになるだろう。

1.すべての家は東側にご婦人専用の入口を設けること。ご婦人は全員この入口から、適切な方法かつ丁寧な作法で入ること。西側の男性用の戸から入ってはならない。

2.ご婦人は公共の場所を歩く際には、常に平和の叫びをあげること。違反した者は死刑とする。

3.コレラ、ひきつけ、激しいくしゃみを伴う長期の風邪、その他、無意識に動いてしまう病にかかっていることが正式に認められたご婦人は即座に破壊されること。

いくつかの国にはさらに法律があったりする。例えば、ご婦人は公共の場ではお尻を左右に振って背後の人たちに自分の存在を知らせなくてはならず、違反すると死刑。他には、ご婦人が旅行するときは、息子か召使いか、夫が後ろに続かなければいけないとか。ご婦人は宗教的な行事以外では家の中に閉じこもっていなくてはならないとか……。

しかし、円階級や政治家のもっとも賢い連中はあることに氣づいた。あまりご婦人を制限し過ぎてしまうと、種の衰退ばかりか、家庭内殺人の増加につながってしまう。だから、あまりに厳しすぎる規則は逆に国のためにならない、ということだった。

ご婦人を家庭内に閉じ込めたり、外で規則で縛りつけたりすると、そのイライラが夫や子どもに向かいがちだからね。あまり温暖ではないある地域では、ご婦人たちが同時に反乱を起こし、ほんの1、2時間のうちに村の男性たち全員を破壊してしまった事件もあった。先ほどの3つの法律で国内の治安向上には十分、この世界でのご婦人向け法律の代表例ともいえる。

結局のところ、これらの決まりはご婦人たちの安全のためでもあるのさ。なぜなら、ご婦人が後ろ向きの動きで相手を即死させたとして、その刺した端をもがいている犠牲者からすぐに抜かないと、彼女自身のか弱い体も砕け散ってしまうのだからね。

流行の影響というのも大きいのだろう。さっきいったように、開発の進んでいない国のご婦人はお尻を左右に振りながら公共の場所に立たなければならない。それなりに統治された国々では、ご婦人は規則がなくても普通にそうふるまうものなのだよ。当然のように行うべきことを法律で強制しなくてはならないのは、立派なご婦人にとって恥ずべきことだと考えられている。

円階級のご婦人のお尻がリズミカルに揺れる姿は憧れの的だ。だから、正多角形の妻たちによく真似されている。彼らはせいぜい、振り子のように単調に揺れることしかできないからね。その正多角形の妻たちの姿も、二等辺三角形の妻たちにとっては憧れの的であり、本来は尻振りの必要がないはずの階級の家庭内でも真似されている。それなりの地位と財産のある、あらゆる家庭においてこのリズムは時計のように普及していて、その家族を見えない攻撃から守ってくれている。

ご婦人が愛情に欠けるってわけじゃないけど、残念ながら彼女たちにとって一瞬の情熱があらゆる思慮にまさっているのは確かだ。不幸なご婦人たちは角らしい角も無いからね。下等な二等辺三角形にも劣って知性はまったくないし、判断力も先見力もなく、記憶することもほとんどできないのさ。ひとたび怒りの発作が起きれば分別を失ってしまう。

実際、私が知ってる例では、あるご婦人が一家を皆殺しにした30分後に、そのかけらを掃いて片付けながら、夫や子どもたちはどうなったのかしら、と尋ねたという。

そうなると方向を変えられる状態のご婦人をけしてイライラさせちゃいけないのは明らかだ。住居はこのご婦人の力を抑えるように設計されていて、部屋の中にいる状態ではじめて言いたいことを言うこともできる。部屋の中にいれば、ご婦人は害を及ぼすことはできない。たとえ殺してやると脅したところで数分たてば忘れてしまうし、なだめるためにした嘘の約束だって憶えてはいられない。

私たちの家庭内の関係はとてもスムーズなものだと思うけれど、兵士階級の最下層についてはそうでもないようだ。この階層の夫には機転や思慮が足りないからね、言葉にできないほどの惨事が起きてしまうことだってある。鋭角という武器に頼って、良識やごまかしの防具を持たないのさ。ご婦人用の部屋を建設する際の規則を無視したり、家の外で不適切な言葉で妻を怒らせてしまう。円ならその場限りの約束でもして一瞬で妻をなだめるのに、彼らが真実にこだわった結果として破壊されてしまう。とはいえ、その事件で消えていくのは二等辺三角形の中でももっとも乱暴なやつらだからね。円階級の多くもご婦人たちの持つ破壊力について、余剰人口を抑え、革命の芽をつむためにも必要だと考えているようだ。

そうはいっても、もっとも円に近い理想的な家族の生活水準すら、あなたのスペースランドには遠く及ばないだろう。たしかに虐殺は無いから、とても平和な世界かもしれない。でも、何かを探求したり調和を味わうことだって無い。注意深く賢い円階級は安全な暮らしと引き換えに、幸せに生きる人生をあきらめたのだ。

円や多角形の家庭のご婦人には、昔からこのような習慣がある。それは、自分の夫やその男友だちに対して、ずっと目や口を向けていなければならないことだ。これは上流階級のご婦人にとっては、もはや本能といってもいいだろう。名家であればあるほど、夫にお尻を向けることは地位を失うことや、不吉な出来事の前兆ともされている。

労働階級や尊敬される商人階級においては、妻は家事をする間はお尻を向けることが許されている。そのため妻の姿は見えず、平和の叫びが響くだけの安らかな時間を持つこともできる。ところが上位階級には、こういった静かな時間は無い。ご婦人の口や明るく鋭い目は、いつも家の主人に向けられているからね。その光以上にそのおしゃべりがしつこいのさ。ご婦人の攻撃を避けるための戦略はあっても、彼女たちの口を止めるのは本当に難しい。だから、「ご婦人の安全で騒がしいおしゃべりよりも、危険で静かなひと刺しの方がまだましだ」とぼやく皮肉屋も少なくない。

スペースランドのあなたからしたら、私たちの世界のご婦人の状況を嘆かわしく感じることだと思う。全くその通りで、たとえ最下級の二等辺三角形であっても、男性は角を大きくさせ、高い地位へと這い上がっていく希望を持つことができる。しかし、ご婦人はご婦人である以上、そのような望みを持つことはできないのだ。進化の法則はご婦人にとって不利に働いているように見える。そんな希望の無い状況であっても、まったく世界はうまくまわっているもので、その悲嘆と屈辱について彼女たちは思い出す能力も、予想する能力も、持ち合わせてはいないのだ。

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『フラットランド―二次元の世界から多次元の冒険へ』
エドウィン・アボット・アボット(著) 牧野内 大史 (翻訳)

つづく… 第5章 この世界でお互いを認識する方法

自分を変える旅から、自分に還る旅へ。

ABOUT ME
マッキー
牧野内大史(まきのうち ひろし)作家、コンサルタント。著書に『人生のシフト』(徳間書店から)スピリチュアル翻訳者として著名な山川紘矢さん 亜希子さんご夫妻 あさりみちこさんとのセッション本(ヒカルランドから)や、監修翻訳を担当した『ソウル・オブ・マネー』(リン・ツイスト著)等がある。2014年にIFEC(国際フラワーエッセンス会議)に日本人ゲストとして登壇した。長野市在住。