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フラットランド―二次元の世界から多次元の冒険へ

この物語『フラットランド』の著者は、A・スクエアになっています。
彼は、フラットランドという2次元世界に住んでいる正方形(スクエア)です。
物語はすべてスクエアによって書き留められた手記という設定になっています。

ああ、僕らは2次元人。

でっかいウルトラマンが僕たちの上を走っていくと、巨大な足につぶされるかどうかはまったくの運次第です。どうかつぶされないように、と祈ろうが、必死にアファメーションしようが、ウルトラマンの足が落ちてくるかどうかに、まったく関係ありません。

煉神還虚から還虚合道へ(2)

黒と名付ければそれが白ではなくなるように、これは「これ!」とも言い切ることはできない無がそこにはあった。その無というものは陰陽が混在しているようだが、混沌、カオスとはまたちがった静かな何かだった。

煉神還虚から還虚合道へ(1)

科学システムの兆しすら生じていない中、この世界は何なのか? この私は何者なのか? ネチネチネチネチネチネチと追求した結果、彼らはひとつの結論に至った。それから数千年経過して紆余曲折や解釈多々あるものの、結局のところその結論は何も変わっていない。それどころか、

ピコ太郎とタオ。

おそらく後にフクギ(伏羲)と呼ばれる人物は、ただの枝を1本、手に持って、それをパキッと手折る。そのシンプルな所作によって、森羅万象のすべてを説いたはず。

タオタオとタオ。

「解釈を固定するなっ」てことだからね。誰かが「わかった、つまりこういうことね!」となった時点で、タオの本質からはどーしようもなくズレてしまっているわけです。

認識は光だ。

もし、あなたがその言葉を知らなければ。それに出会ったのならその瞬間、それが紛れもなくそれであると、あなたには必ずわかるはずです。それが経験を通して知るということです。

そのアイデアはどこにある?

歩くことの実現は、歩くことでしか実現しません。

そこに、「どうやって?」という問題解決は存在しないものです。

歩くことの実現は、歩きはじめた瞬間に実現しています。

そこに、「どうやって?」という問題解決は存在しないものです。

心のジッパー。

僕らにとって、脳の中で考えたことは、どこまでいっても脳の中で見えた幻想なんです。

ジッパーの左側と右側は似ているけど、ちがうものだよね。そんな感覚。

コピーとしてのイメージ。

可能性についての話。

値が存在しない(NULL)ことと、値がゼロ(0)であることはまったくちがいます。

ゼロには+1したら、答えは1です。

NULLには+1したら、答えはNULLです。

参加するということ。

詩や音楽は、時間のなかに存在する。

絵画や建築は、空間の一部だ。

それに対して、ダンスは

空間と時間のなかに同時に存在できる唯一のものである。

自分 = 私 ?

自由とは、その定義上「自分とは何者か?」に氣づいた者だけに開かれています。

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