Disclose & Discover

ここに2冊の本があります。

一冊は、ファンドレイザー(資金調達者)として活動するリン・ツイストによって書かれたお金の本『ソウル・オブ・マネー』。

もう一冊は、130年前のイギリスで書かれた『フラットランド』という幾何学物語で、これまで何度も出版されては絶版になってきた幾何学小説です。

ソウルオブマネーとフラットランド

どちらも牧野内による翻訳で、Amazonから入手できます。

お金の話と幾何学の小説、一見、脈絡もなく感じられるかもしれませんが、「自由とは何か?」を考える上で、とても役立つアイデアがこめられています。

黄金の夜明け前

成功の再定義

この社会で「成功」といえば、ほとんどは「経済的な成功」を意味しています。

けれども、本当にそうでしょうか?

これまで数々のシステムが奴隷を量産するために作られてきました。

お金、通貨という道具の背景にあるカラクリも、そのひとつです。

多くの人が望む「成功」というイメージも、それを不自由に望むように設定されているのかもしれません。

最近、「成功」という言葉の響きがダサく聞こえませんか?

もし、正解がたったひとつになるとしたら、1次元的なモノサシが適用されるとしたら、僕たちはいともカンタンに思い込みの中へ収監されてしまいます。

例えば、逃げることはネガティブで後ろ向きな選択のようにいわれることがあります。それでも、逃げる方向からしたら、それは前進のはずです。逃げることによって、これまでとは別の方向に向かっているともいえます。

どこかから離れるということは、どこかに近づいているということでもあります。

つまり、何かを「成功」と名付けるということは、何かに「失敗」という名付けをすることでもあるんです。

そして、それを信じるということは、世界観を固定するということです。このことを、システムを管理する者たちが利用しないはずがありません。

お金の本質とは?

1万円札の原価は20円。

残り9,980円はどこからやってくるのでしょうか?

僕たちはお金そのものに価値があると認識していますよね。でもそれは、紙っぺらに価値が上乗せされたものです。価値はいったい、どこからやってくるのでしょうか?

かつて、お金は文字通り「金 Gold」によって、その価値がひもづけられていました。

そうそう、日本は昔「黄金の国ジパング」と呼ばれたように、世界の埋蔵量のうち20%の金が存在していたといわれています。江戸時代は佐渡だけで年間400kgの金が産出され、ジパングはたいへんな資源大国であったのですね。

金は貴重です。この地球でこれまで採掘されてきた金をすべて合わせても20トンに満たない量です。イメージしやすいかどうかわかりませんが、オリンピック公式競技用のプールでいうと、たった4杯分。

で、それらの4杯のゴールドは、今、いったいどこにあるのでしょう?

ゴールドの行き先は?

現在の金の保有量、ダントツ1位はアメリカです。

日本の10倍以上の金を持っています。

このニューヨーク連銀地下金庫やフォートノックスに保管されていると説明されている金塊については監査もなく、実情は誰も知りません。いち民間企業による「これだけ持ってますよ」という帳簿上の数字によって、米ドルに関わるすべてのシステムが成立しているということです。

米ドルはもともと金本位制という仕組みを採用していました。

金本位制というのは、お金の価値をゴールドの重さで表すことができるルールです。

例えば、「ゴールド1オンスは35ドルですよ」というように、お金の価値を物理的な資源ゴールドという存在が裏づけている状態です。

しかし、アメリカは1971年に突然、金本位制をやめます。

それから、お金は発行者が自由に印刷して発行でき、さらに信用創造で利子が利子を生むようなシステムになっていきます。

あれこれヤヤコシイコトをすっ飛ばしていうと、

「お金は物理世界から乖離して仮想的な通貨システムとなった」

ということなんです。

そして、多くの人間がその仮想情報、帳簿の数字によって、働かされたり、戦争したり、死んだりする。この仕組みが本格的になったのは、ほんのここ50年のお話です。

パラダイムシフト

僕たちの世界は、あるパラダイム(その時代のものの見方、考え方を支配する認識の枠組み)によって創られています。

それは真実ではなく、単なる思い込みではあるものの、多くの人たちがその見方を設定することによって、ひとつの同意された現実になるものです。

きっと、僕たちはすべてがひっくり返る、パラダイムシフトの瞬間を目の当たりにします。

それらはすべて、自分の外側の環境やシステムで起きるということではなくて、基本的に、個人の内面、つまり、あなた自身の中で起きることです。すべてが自分の中で起きます。

パラダイムシフトについてトーマス・クーンは何らかの違和感が発見につながるとしています。あなたが「これはおかしいんじゃないかな」と思いはじめた時点から、発見ははじまっています。

僕たちは誰もが、自分の思ったとおりの人生を生きているものです。

これから先に待っているのは、自分の中に思ってもみなかった自分を発見する時代。自分の中に、まだ知らなかった自分の存在を発見するタイミングです。

与えられたパラダイムにふっと違和感が湧き上がってきたとき。それは、本当の自分とつながるチャンスです。目の前で起きてくることを通して、本当の自分が見えてきます。

フラットランドから抜け出す

上という概念の消失

僕たちが信じる次元の外の話は、いつの時代もタブーです。

『フラットランド』の物語の中で、主人公のスクウェアは2次元世界の外にある「上」という認識に魅せられ、社会からは反逆者として責められるようになっていきます。彼は自分の立場を危うくしていきますが、一度でも見てしまった次元からは目を背けることができなかったのです。

その昔は、世界とはフラットな平面である世界観こそが常識でした。地球平面説では、お盆のような平らな地面の上に町があり人も動物も生きています。

そのうち当時の学者たちが、実際の地球のカタチは球体であることに氣づきはじめました。

すると、今までふんぞり返っていた権力者たちはとても慌てたといいます。

なぜなら、上と下がなくなってしまうからです。

フラットランド 上下とは?

地球の裏側の人にとっての上は、こちら側にとっての下になります。

上とはまさに神の方角です。

それがある状況においては下になる、そんなことはあっていいはずがない。そこで学者たちは特権階級から迫害されたり、暗殺されることすらあったそうです。

外側と内側を超えて

『ソウル・オブ・マネー』(リン・トゥイスト著・ヒカルランドより)に著者のメンターとして登場する人物に未来学者のバックミンスター・フラーがいます。

彼は20世紀のレオナルド・ダヴィンチとも呼ばれ、人類の新しいパラダイムシフトについて、このように表現しています。

「宇宙に上と下はない。ただ外側と内側だけがある」

僕たちが普段感じ取っている下や上というのは、地球にとっては内側や外側ということです。

つまり、宇宙の視点から見渡してみれば、上と下、そんなものはどこにも存在しないのです。このような既存の常識外に目が開かれ、人は上と下を超えた世界を見ることができるようになりました。

では、その次に来るのは何か、それはきっとこのような問いです。

「もし、内側と外側がなくなったら何が起きるのだろう?」

人はもしかすると、ある時点まではその高次元のランドを認識していたのかもしれません。

しかし、限られた次元のランドであまりに遊びすぎたために、もともと自分たちがいたはずの次元を忘れてしまっているのかもしれません。

鏡の向こう側の出会い

例えば、ミラーワールド。

どうして鏡の向こう側の文字の上下は反転しないのでしょう? 左右は反転するのに、上下が反転しないのはおかしいはずです。

答えはとってもカンタン。

そもそも左右は反転していないのです。

この言葉の意味がよくわからなかったら、ここで読むのを止めて、実際に鏡の前で実験してみましょう。鏡の前に立って、左手で左方向を指差すとします。そこで指が指し示す方向は? やっぱり、同じ左のままなのです。

それでも、なぜか左右が反転しているように見えますよね。

この理由は、つい僕たちは鏡の中に入った自分から見える左右をイメージしてしまうから。

鏡のガラス窓のあちら側に、あたかもこちら側の自分にそっくりの人物が潜り込んでいるかのように感じるのです。例えば、僕が左手を挙げます、僕そっくりの彼は、こちら側の僕にとっての左の手。つまりは、あちら側の彼自身にとっての右手を挙げています。

鏡の中の自分を観察する

左右はけして反転はしていません。

反転していたのは、自分にとってのあちら側とこちら側。

つまり、

前と後ろが反転していたのです。

鏡の前にいる自分は前方を見ながらにして、反射した自分の後方を見ていたわけです。そのあなたの「こちら」は、鏡面を隔てて向こう側にある「あちら」でもあるという関係になっています。

僕の散歩コースにある神社の御神体は鏡だそうです。鏡は自身を認識させ、世界の前後を反転させる道具。これが古代に神秘的で神聖な神器とされたことは、とても深い意味があるのかもしれません。

開けゴマ!

これまでの地球はポジションパワーが支配する世界でした。

それは、一部のより強い者、より富める者たちが、そうでない人たちを支配する世界です。そのような世界では、多くの人は自身のパーソナルパワーよりもポジションパワーを優先し、「まわりからどう思われるか?どう見られるか?」という、怖れと評価判断のシステムに縛られてきました。

今、自分が何者かに氣づき、まったく新しい可能性にハートを開いてしまった人たちは、過去のシステムから自由になり、自分で自分自身を自由自在にしていきます。

誰かを説得するために生きるのではなく、自分が心から納得いくような生き方をはじめていきます。

すべては他でもない自分の内側で起きるプロセスですが、そのきっかけはいつでも、新しい出会いによって展開します。自分に向き合うために他人は関係ない、ではなくて、他者を通して自分が見えてくるような、そんな出会いがあなたに起きます。

バックミンスター・フラーは、この新しい時代のパラダイムを「わたしかあなた」You-Or-Me から「わたしとあなた」You-And-Me へのシフトだと表現しました。この世界は「わたしかあなた」でできています。ですから本当の「わたしとあなた」は、この世界の外で再び出会うことになります。

ハートは自分ひとりじゃ開けないものです。

あなたのハートに向かって、

 「開けゴマ!」

って唱えてくれる誰かが鏡の向こう側に存在する。

あなたの人生が、よき出会いにあふれた経験でありますように。

ビデオ:本当の自分とは?

本当の自分とは
世界の中にいる自分ではなくて
世界の中にいない自分。