僕はときどき、この潜在意識という言葉にどこか、前時代的な根性論のような響きを感じることがあります。説明できないことは何でもかんでも取りあえず「潜在意識」としておけば簡単に理屈が通ったような錯覚におちいることができます。
ドーナツはけして揚げパンではない。揚げパンはドーナツではないのと同じくらい、ドーナツは揚げパンではない。ということは、ドーナツにはやはり、穴はあるんだ。穴を構成する部分は無いわけだが、ドーナツ生地があることでやっぱり穴はあるし、ドーナツはドーナツたり得ている。このドーナツが、あなたという世界。あなたという穴だ。
チョウの幼虫はあるタイミングで目に映るものすべて。手の届くものすべてを食べつくす過食の状態となります。このときの芋虫は、自分の体重の数百倍もの量を食べることができます。キャパオーバーなんて超え、手当たり次第をどんどん食い尽くしていきます。これはある意味で「問題のカタマリ」です。
自分のアップロード。技術的にコンピューターに「自分」をアップロードできるようになったとき。それは果たして「自分」なのだろうか?そんなユーザーたちの疑問に技術者たちは、どのように答えるのでしょうか?
タッチーこと立花岳志さんとのトークイベント『 The Power of the Heart 』 powerd by 田中ゆうこさん。長野→東京→と開催してきて、今回は 姫路 となりました。姫路はいつも新幹線で通っているのですけど、実際に訪れるは初めて。ということで、しらさぎ城、白すぎる城として知られる、姫路城へも行ってきましたよ。
「逃げるは恥だが役に立つ」というのは、ハンガリーのことわざのようですね。逃げるとき、その逃げる方向から見たら。それは後退ではなく、前進です。これはポジティブ・シンキングというより、中庸な見方。
となり村に神様と話すことのできる女性がいる、そんなウワサを聞いて、年老いた神父がやってきた。彼は、その怪しげな女をひどく疑っていたので、それが嘘なのだと皆の前でなんとか証明したかったのだ。神父が広場に出ると多くの村人たちが集まり、彼女に質問をしていた。彼女はひとりひとりに対して、丁寧に答えていた。それを見ながら、彼はひたすら自分の順番を待った。そして、やっとそのときがきた。彼は一歩、前に出ると聞いた。
あるとき13歳少女がスコットランドへ旅行へ出かけた。そこで自分の名前や住所を書いた手紙をボトルに入れて海に流す。そのボトルは2年かけて海を漂い、それを別の海岸で夏休みの家族旅行で来ていた6歳の少年が拾う。彼はこの手紙を興味深く思い、自分の名前のリチャード、そしてボトルをどこで拾ったか等を簡単に書いたポストカードを返送した。彼女はそのポストカードに返事はせず、そのままポストカード収集のためのクッキー缶にしまいこんだ。それから何年も年月が流れ…
でも実際のところ、行動をはじめたら、その行動は確かに実現しています。実現していないのは、仮に設定された未来のどこか、です。今この瞬間に実現していることとつながる。このような視点をアリストテレスは