人生を変えてくれた◯◯。
ときどき、
「◯◯を知って人生が変わった」
という言葉を耳にすることがあります。
何かに悩んでいる人、問題を抱えている人が、ちょっとしたコツを知って、その問題を解決し、より軽やかに人生を歩んでいける。そんなことがあります。その意味で、その出会いは良いきかっけでしたし、素晴らしいものでした。
人生はいつも邂逅ですから。
けれど、それが「自分の人生を変えてくれた」というのは誤解です。
僕たちは、テクニックやノウハウが大好物です。それが欠けているという想いには、無かったことにしたいような、辛辣な痛みがあります。そのため、その技術を習得し、問題を解決するための努力を惜しみません。
そんな人は、ある程度の成功体験を積み重ねていきます。
それ自体は、それなりに素晴らしい経験です。
でもですね。
一度、問題、解決、問題、解決の、ループにはまってしまうと、その円環の中には、自分のくつろげる場所は永遠に存在しないんです。まるで浅瀬で、ぐるぐる回って泳いでいるので、どこにも辿り着かない、そんなことがあります。そのときの問題が「解決した!」と喜んでも、次には、もっと重要な問題がぐるぐると、そして、少しズラして新しいマニュアルを探してきて同じことを繰り返す。
そうなんです、ただそのとき、
自分に氣づくまでは。
その時点ではもう問題解決(過去の成功体験)という赤いセロファンがしっかり形成されていて他の可能性が見えません。
その人が選択する解決の方法は、いつも自分ではなく
「どこか遠くにある新しいマニュアル」
なんです。
手に入れる = 成功 なのだと。
その宇宙のすべてが、今の自分を強固に肯定する方向へと働きます。
つい「自分はそれなりに上手くやれている」と思ってしまいます。
その自分が怖れたり、嫌がっている大きな壁は、
実は、自分自身なんです。
実は、自分の足をひっぱっているのは、自分自身です。
人生を変えてくれたのは、他の何者でもなく、自分自身だと氣づくと、
自分の足をひっぱっている自分自身にも氣づくことができます。
そして実は、自分が必死に取り組んでいる「解決」が、
自分のことを、少しも楽にしてくれていないことに氣づくと、
長くて重い呪縛から、自分を解放することができる。
……。
「問題を解決するための方法を教えてください」
と情報を求めてくる人間に、
「そもそもその問題が存在しないこと」
を伝えるのは、とても難しいことです。
相手は「問題の答え」がわからなくて、「問題の答え」を知りたい。
その必死に答えを探す相手に語るのは、
「答え」ではなくて。
これは「問題と答え」が同時に消失する話なんです。
それは受け容れられるはずもありません。
なぜなら、心の奥底では「問題」を持ち続けたいのですから。
もし、コンサルタントがテクニックやノウハウを求めらたら、効果的なテクニックやノウハウを語れば、いいんです。
ですが、コンサルタントの役目はそれだけではありません。
その中にひとつでも、自分に氣づく、自分に還るクリスタルを、ひとかけら入れておくこと。それがあることで、どこかでふと自分の内が視据えられるように。
いつかその小さなクリスタルが発動するときには、僕から聞いた話どころか、僕の存在自体すら、その人は忘れているはずです。
けれども、その瞬間に起きる経験だけは、永遠に忘れないでしょう。
その人にとって、初めて自分がくつろげる空間を発見するのですから。
自分を変える旅から、自分に還る旅へ。