ドレッシングの酢と油は混ざらないけど、
どうしてマヨネーズを創るときは混ざるんだろうね?
それはね、エマルションが起きているからだよ。
どこかの段階で、僕たちは
自分と、他の人との
境界線を創る技法を身につけます。
自分と、自分以外のものを切り離し
その間に創る固いカベのことを
言葉でいうと、自我(エゴ)といいます。
きっと、僕たちがお腹の中にいるときは、
そんなカベはなく、ただただ、
羊水の中で揺られていたのでしょう。
お母さんのおっぱいを飲んでいたときもそう。
ただ自分を満たす何かがあっただけなのでしょう。
あまり耳さわりのいい話ではないけれど、
世間話で聞いたこんな話があります。
江戸時代は罪人を市中引き回しにしてから殺しました。
そのとき、罪人はもう最期なのですから、
役人に「◯◯が食べたい」といえば、
ある程度のわがままが通ったそうです。
まさに最期のリクエスト。
ある罪人がいった最期のリクエストが面白い。
野次馬の中に赤ちゃんを抱えてる女性を見て
「おっぱいが飲みたい」
といったそうです。
それで、実際におっぱいを飲ませたらしいのです。
はは~と僕はただただ驚いたのですが
そんな話をしていたとき、一緒に聴いていた
となりの女の子が「わたし、わかるな」といっていて、
僕は、二度びっくりしました。
男の僕はどうしても「たまってたのかな」とか、
そういうことしか考えられません。
でも、彼女は、
「彼はそこ(おっぱい)に100%の安心と満足をみたんではないだろうか」
という、関心するような優しい分析。
ほんとうのところなど知る由もありませんが、
彼はその瞬間、ほっと許されたと感じたのかもしれません。
罪人も聖人も最期に求めるのは、
そういうことなんじゃないだろうか、と思ったりしました。
その象徴を、何にみるかは人それぞれで。
それは外側からやっと得るというよりも、
それは、やっと受け容れた、に近いことなのかもしれません。
やっと思い出した、に近いことなのかもしれません。
行きて帰りし物語。
今まで分離していたものが、互いに融け合うエマルションのように。
<許しの3分間クッキング つづく・・・>
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