SF184_L

「わからない」の暗闇に落ちる

時間について 旅人は電車で目的地に向かいながら うつらうつら考えた。 自分が到着駅へ近づいていくのか、 それとも、到着駅が自分に近づいてくるのか、 どちらなのだろうか? 電車は目的地へと向かって進んでいく。 でも、自分の目から見れば まわりの景色は通りすぎていき、この電車は動いてはいない。 同じように、これまで 自分が自分を通りすぎたことはなかった。 自分はいつでも、ここにいたからだ。 思考をめぐらす… もしかしたら、移動という概念は幻で 自分は少しも動いたことはないのでは? そして、出発の時刻と、到着の時刻。 時間が出発時刻から到着時刻まで流れていくのか、 それとも、到着時刻から出発時刻まで流れていくのか、 どちらなのだろうか? 実は、流れているのは時計の針だけで… もしかしたら、時間という概念は幻で 本当の時間は少しも動いていないのでは? 動くことのない、そして変わることもない、 世界の中心にいる自分。 これは、いったい何なのか? どう説明しようとしても、 それは思考ではとらえることができない。 ただ、 「わからない」 そこは説明の灯りがなく、ただ真っ暗。 思考による説明をつけず、ただ、わからないままでいると、 その、わからないの暗闇に落ちていく。 永遠に思えるほど時間を巻き戻し、 宇宙のはじまり、ビッグバンよりも前の世界。 そこには、空間もない、 したがって、時間もない。 そこには、ただ中心があって。 その中心は、今ここにもあって。 自分が体験しているこの 中心、ということだけが、…
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okashinoie

永遠の現在(時間)

夏にはまっていた黒蜜づくりで余った 黒砂糖が目につき、年内に早く使ってしまおうと ちょうど淹れようとしていたチャイに入れてみた。 ・・・! うまい。 何で今まで氣がつかなかったんだろう。 これまで、何杯チャイを淹れてきたかわかりませんが、 過去の僕に強く教えてあげたいです。 「とりあえず、黒糖いれとけ」 って。。。 思い返してみれば、黒蜜は何にでも合いそうです。 夏に大量生産したとき、もっと多方面でチャレンジしておけば良かった。 1600年前、北アフリカのタガステ出身の哲学者 アウグスティヌスはこんなことをいっていました。 過去は過ぎ去ったものだから、存在していません。 未来も未だ来ていないのですから、存在していません。 では、現在は? 現在が過ぎ去るとしたら、それは過去です。 ですから、現在は過ぎ去ることはありません。 だとすれば、現在は永遠です。 今日が始まりも終わりもないものだとしたら… この瞬間が始まりも終わりもないものだとしたら… やはり、 僕は今、目の前にあるチャイを味わうことしかできません。 永遠の今という時間の中で、そのすべてを味わいながら。 これから、甘いものを作るときには、 「とりあえず、黒糖いれとけ」 を牧野内家の家訓としたいと思います。
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光の速度は超えられる?

最近、面白いニュースが流れていますね。 素粒子ニュートリノが質量を持つことの最終確認を目指す国際共同実験OPERA(オペラ)の研究グループは22日、ニュートリノの速度が光速より速いことを実験で見出したと発表した。確認されれば、アインシュタイン(Albert Einstein)の相対性理論に重大な欠陥があることになる。 こういうパラドックスが観測で明らかになってくるのはとても面白いです。 でも、たぶん、アインシュタインはこういう出来事もあると予想はしていたのではないかと思います。 こういう理論は、すべて、ある視点からすると「つじつまが合うこと」なんだと。 今、考えるとニュートン力学なんてある視点からは嘘っぱちですが、 まぁ、それを僕たちの認識の基盤にしていても世界はまわっているわけです。 今回のニュートリノの速度というのは、スイスとイタリアの間、730キロほどの距離で測られたそうです。 スイスからニュートリノを飛ばし、730キロ先にあるイタリアへの光の到達時間は2.3ミリ秒。 ニュートリノは、それに比べ、60ナノ秒ほど早かったと。 これは、空間があることを前提としています。 ニュートリノと光が辿った道は、直線730キロという光と同じ距離で、 それぞれが辿り着くまでに使った時間軸も同じである、という前提で。 空間は、広がりのことで、そこでは色々なことが変化します。 空間には、出来事が起きてきます。 この出来事を理解するために人間が考えだしたのが、時間です。 時間と空間は限りなく実体に近いような実感のある、人の概念です。 空間をつかむこともできないように、時間をつかむことのできないように、 これは僕たちが共有しているTSI、アイデアの状態のことです。 ニュートン力学で、量子を見ることはできませんし、 僕たちの実感から、ニュートリノをとらえることはできません。 今、理論的にもっとも矛盾が見つからないといわれている 多世界解釈にも、これで注目が集まりそうですね。 僕たちが見ていることで、 本当に「正しいこと」は何ひとつ語ることができません。 ただ体験していることがあるだけ。 「明日の17時に、駅前で待ち合わせね」 なんて、場所と時間を約束することはフツーの会話ですが、 このアイデアすら、根底からくつがえる可能性すらあるのです。 時間は誰にとっての時間?場所はどの世界の?相手はどの次元の自分? 人にとって当たり前すぎる、空間と時間の認識。 この時間と空間を僕たちが再定義するタイミングが近いと感じさせる 今回のニュースは、たとえ観測ミスだったとしても、とても興味深い視点です。 >
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◯◯したら、××できる。

◯◯したら、××できる。 たいていの方法論は、ひとことでいうと 「◯◯したら、××できる」で、まとめられます。 これがたとえ正しかったとしても、 「では、◯◯できなかったとしたら・・・」 「××はできない」という考えにもなってしまうかもしれません。 このとき、◯◯はサポート(手段)というよりも、 ハードル(壁)として目の前に存在することになります。 さて。人間は、生物として必須の能力 空間認知能力という力を持っています。 例えば、 「今、私は川にかけられた橋の上を歩いています」 というと、実際に橋を歩いていなくても、 イメージの中で少し斜め後ろから自分の歩く姿をとらえる 視点が出てきます。 橋の位置も、川の位置も、自分の位置も、 その斜め後ろのもう一人の自分の目からとらえることができます。 これは、かつて木の上でも生活していた生物には必須の 自分の位置をイメージで把握する空間認知能力です。 これは、時間についても同じです。 時間の流れは、大抵、 過去から未来に向かって、その中心に自分が在る。 そんな、イメージの時間空間として認識することができます。 例えば、かつて狩りをしていたとき、 獲物がどこからどこへ向かって走っていくのか・・・ 自分がどこからどこへ向かって走っていくのか・・・ この先の流れを予測する、必須の能力です。 このような認識は、生まれてから学ぶものではなく、 生まれたばかりの赤ちゃんにもすでに習得されている DNAに刻みこまれた力です。 つまり、僕たちは既存のTSI(Time & Space Illusion)に縛られない、 自由自在である、独自のTSIを持っています。 ここでTSIというのは、地球上でのあらゆる体験のために 僕たちに共通認識として用意された誰もがアクセスできる枠組みのことです。 「こういうもんだよね」という「記憶」です。 それは、思い出すことによって、改ざん、上書きが可能な「記憶」です。 実は、TSIに限らず、社会的な地位の空間や、文化、お金の空間や、…
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TSI 時空間の幻想

時間と空間についての人間の持つ幻想を、 よく、TSI(Time & Space Illusion)といいます。 時間と空間があることで色々な体験ができる 僕たちにとっては、少し突拍子も無い話に聞こえるのですが… 考えてみれば、ずっと「今」は、過去から未来になっても、今しか存在していないし、 僕たちは同時に「ここ」は2箇所以上に存在することもなく、やっぱり今ここしか無いし、 それが、イリュージョンであるという考え方もできるわけです。 20代のころ、あるカプセルに入ったことがあります。 それは、五感を遮断できる仕組みになっていて、 そこに入ると、光も音もなく、体がぷかぷか浮遊して、 一旦、すべてのインプット情報をクリアにできるのです。 そこへ入って何も無い空間に浮かんでいると・・・ 体が勝手に動き始めます。横にスライドしているようにすーっと。 「あ、動いてる」と思って、カプセルの壁を内側から触ると、動いていません。 一瞬、上と下がわからなくなって、パニックになりますが、 やっぱり、そのまま動いていません。 僕たちは、様々な情報から相対的に、自分が動いているとか、 停止しているとか、動きを認識するわけですが、 それが無くなってしまうと、それはイリュージョンであると氣がつきます。 また、時間についても同じです。 僕たちはまわりを見て時間の流れを認識しますが、 それが無くなってしまうと、それはイリュージョンであると氣がつきます。 僕たちはイリュージョンの中に何を創造するかを選べるし、 やぱり、今ここにいる人と、今ここでどんな選択をするのかが、 僕たちの世界に永遠を創り出すのだなぁとも、思います。
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