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逃げるは逃げる方向への前進。

「逃げるは恥だが役に立つ」
Szégyen a futás, de hasznos.

……というのは、ハンガリーのことわざのようですね。

逃げるとき、

その逃げる方向から見たら。

それは後退ではなく、前進です。

……。

これはポジティブ・シンキングというより、中庸な見方。

そこにはバリエーションがあるよ、という中庸の易人視点。

ここで大切な前提は、

人は「世界を中庸な見方で観ること」は絶対にできない。

ということ。

なぜなら、人は差異を使ってものを見ている生き物だから。

つまり、人は世界にある程度のポジティブな意味づけや、ネガティブな意味づけをすることによって、そこに起きている現実に同意し受け取ることができているんです。

ある人から見たら、ゴールに向かってひたすら走る短距離走者も「いったい何から逃げているんだろう?」と見えるかもしれません。それは、その人の持っている信念、価値観を投影しているからです。

それは見る人の判断によります。

この場所が自分には合わない、と別の場所へ行こうとすると、それが「逃げる」と判断されることもあるし、そうやってふらふらしていることを「自分探し」と呼ぶこともあります。そして、世間では「自分探し」という言葉も、ネガティブな印象で語られることが多いのではないか、と思います。

「自分はここにいるのに、どこへ探しに行ってるの?」

それはきっと、「自分探し」をしたことがない人が言うことです。

自分がここにいることに何の疑問も持たず、もしくは、その疑問を見ないようにしながら生きてきた、それをする必要がないと頭で知っている、とても聡明な人。

でも、ほとんどの人は僕を含めて聡明ではないので、若い頃を振り返ってみればですね、きっと「自分探し」をした経験おありだと思いますし、これから「自分探し」に出かけてくるぜ! なんて方もいるはずです。

先日、ニュースでとある北の駅に海外の観光客が集まっている、と話題になっていました。

そこはある国で放送された有名ドラマのロケで使われた場所らしいのです。駅周辺はお店も何もない住宅地なのに、海外から人が押し寄せ、近隣の方々が迷惑してる、というようなお話でした。

僕はかつて、一度だけ、その駅に行ったことがあったので

確かに、そうだろうな。と思ったのです。

当時、その駅を降りるともっと何も無い場所でした。

僕は20代の頃、その駅で一夜を明かしたことがあります。

ある日、僕は北へ逃げ、ひたすら北へ逃げ、

北へ、北へ。

そしてある夜にたどり着いたのが、その無人駅で。

真っ暗闇に包まれながら、奥歯をがちがち鳴らしながら、駅のベンチで眠りました。

強風が窓ガラスをたたく音がうるさくて、なんだか怖かったのを憶えています。

翌朝、目覚めると昨晩は見えなかった雄大な海原が目の前にありました。

僕は朝日を浴びながら、大きく伸びをしました。

その景色を見て、さて帰るか。と思ったのです。

今ここに座して目を閉じることで見えてくることもあれば、

出かけることで、動くことで、逃げることで、自分を探しに行くことで

見えてくることもたくさんあると思います。

自分探しがいつの間にか自分顕しになることもあれば、ひたすら逃げていると思っていたらもっといいゴールに辿り着いていたということもあります。

その方向を創り出しているのは、いつも自分自身。

> 左右の反転とポジションの意味。

自分を変える旅から、自分に還る旅へ。

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