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ノンデュアリティというデュアリティ(6)

われというものはない。
また、わがものというものもない。
すでにわれなしと知らば、
何によってかわがものがあろうか。

ー仏陀 その生涯と思想 増谷 文雄 (著)から。

ノンデュアリティというデュアリティ。

リアリティ、というアクチュアリティ。

……自分のアップロード。

技術的にコンピューターに「自分」をアップロードできるようになったとき。

それは果たして「自分」なのだろうか?

そんなユーザーたちの疑問に技術者たちは、どのように答えるのでしょうか?

未来の最新技術が人にパラダイムシフトを起こすこともあれば、それと同じように。

過去のパラダイムによってその技術はしばらくその抱える信念が受け容れられるようになる状況まで保留状態になる、ということは多々あります。

人間の「自分」に関わる信念は強固で、変えがたいものなので、どう展開していくのか楽しみなテーマのひとつですね。

さて。

……無我と非我。

よく仏教では「無我」といい、これは我(自分)が存在しないものだと捉えられることがあります。

諸説あるものの、僕には釈迦さんが「自分はいない」と説いたとは考えにくい。なぜなら、すべては無常であるという前提からすれば、自分どころか、ありとあらゆるものが「そこに存在するものではない」はずです。

存在するものがないのなら、取りあえずは「存在しているように見えるもの=存在」としちゃえばいいじゃないか、アクチュアルには「何も存在しない」としても、リアルには「ここに存在している」じゃないか、という堂々巡りが可能になってしまいます。

一方で、「非我」つまり「我ではない」という解釈の方が僕にはしっくりきます。

大抵、僕たちが自分だと思っている自分は、けして自分ではありませんから。それに、あらゆる悩みというものは、自分が自分ではないものに自己同一化してしまうことから始まっているものです。

……カルマの話。

ちょっと話題が脇にそれるようですが、仏教でいわれる「カルマ」という言葉についてもふれておきます。スピ系でも、カルマがどうたら、ぐちゃぐちゃ、という話をよく耳にします。

カルマとは何でしょう?

これはサンスクリット語で「行為」のことです。これを漢字にすれば業(ごう)で、そこには行為の結果も含まれている言葉です。もう少しざっくりいうと、これは「原因と結果」といった方がわかりやすいかもしれません。

つまり、 カルマ = 原因と結果 = 因果応報 のことです。

過去、自分がやったこと = カルマ行為という原因となって

次 → 未来、結果として降りかかる。

例えば、

いいことをしたら → いいことが起きるよ

わるいことをしたら → わるいことが起きるよ

という連鎖の連続性、つながり、のことなのだとされております。

このカルマの → (矢印)は継続性、その行為固有の影響が継続するよ、という糸。

今この瞬間、目の前で起きている出来事が「起こるように起こっている」んだ、と認識したとき。はじめて、ある出来事と、目の前の出来事が「原因と結果の法則」という糸で結ばれます。

過去、カルマしたから → 今、カルマっちゃった。

このようなアイデアが、カルマの核心です。

ある出来事・行為・カルマがあったからこそ、目の前の出来事につながる。

そのように僕たちは思いこみがちですよね。

けれども。

本当にそうでしょうか?

そうではなく、

今の自分が糸を放った結果、それが原因・行為・カルマとして
過去のある特定の出来事をつかんだのではないでしょうか?

今、僕のブログの記事をあなたが読んでいますね。

そのためにあなたは意識的に何かの行為が必要となりました。ページを表示するブラウザなり、どこかのリンクなり、何かを開いたり、クリックする必要がありました。そのクリック・行為・カルマの結果として、これを今、読んでいるというわけです。

つまり、カルマしたので、結果、この文字情報を読み進めている、と。

そうです、カルマしたから、今、カルマっちゃっていると……。

これは本当にそうなのでしょうか?

僕のブログを読んでくださる方は、僕のことを知っている可能性が高いでしょう。何かの検索でたまたま来た人なんてのはほとんどいません。たぶん。ということは、それをカルマする前に「マッキーのブログでも開いてやるか!」と、クリックしたのかもしれません。

開こうと思って開き、読もうと思って読む、その瞬間。

だとしたら、そこにある原因と結果は、ひっくり返りませんか?

過去、カルマしたから、今、カルマっちゃった。

ではなく、

今、カルマっちゃってるからこそ、過去、カルマした。

では、ないでしょうか?

今、この文章を読んでいるからこそ、それをカルマしたのではないでしょうか?

今この瞬間における自分の心のあり方が、原因と結果を信じられる範囲で選びつなげた。そのカルマってる糸を時間軸に放り投げたのは、他でもない自分、そのように考えることもできます。なぜなら、「そうしよう」と思って「そうしたことなんだから」それはそうなのです。それはそうなのだ、と決めている自分がいるよ、ということです。

カルマは過去、あのときあの場所で、生成されたものではありません。

今この瞬間の自分が、今ここに生成しているものです。

…この意味において、実際のところ、カルマは存在しないんです。

どこにもない。

まじで。

カルマったと思っていたのは、他でもない自分がカルマってるからでしょう。

カルマとは自分のことだったんです。

「カルマはあるぜ!」と宣言した自分だけが、カルマをそこに見ることができます。

なぜなら、それが自分だから。

この意味において、カルマは実在します。

実は、このようなカルマっている思考を解きほぐすことが

本当の「自分」の理解へもつながっていきます。

自分を変える旅から、自分に還る旅へ。

ノンデュアリティというデュアリティ(1)心のざわざわ
ノンデュアリティというデュアリティ(2)アイン0とアインソフ0
ノンデュアリティというデュアリティ(3)アクチュアリティ
ノンデュアリティというデュアリティ(4)易とバリエーション
ノンデュアリティというデュアリティ(5)宇宙との接点
★ ノンデュアリティというデュアリティ(6)カルマの話

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ノンデュアリティというデュアリティ (1)から(7)
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