『文化の創造』 旅の途中で…

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ある国を旅しているとき、
大きな聖堂の前を通りかかりました。

「この大聖堂は建造に500年もかかったんですよ」

と、親切に案内してくれていた
現地の女性が教えてくれました。

500年…

ときに、『創造』という行為は、
その姿を目の前に現すまでに時間がかかることがあります。

きっと、この大聖堂を建てるときも…

最初の石を切り出し、その石を置いた職人が、
かつて、この場所に存在したのでしょう。

1つ目の石を置いた男が。

彼の、その創造の完成した姿を、
彼自身が目にすることはありません。

彼の子も、その完成を目にすることはありません。

そして、その孫、ひ孫ですら…けして。

そんな長い時の流れの中で、

「もう、この辺でやめとこうよ」

「無理だと思うよ、非現実的だよ」

「もう、この計画は時代に合っていない」

色々な言い訳を持ち出し、
目に見えない不確かな創造を否定し、
放り投げようとする職人は…

いなかったんでしょうか?

それとも、これは食べるための仕事だと、
割り切ったものだったのでしょうか?

いえいえ、これは文化を創る仕事と、
氣高い想いがあったのかもしれません。

500年間にわたる、創造がスタートする。
もしくは、いつ完成されるかも知らされてもいない。

その場面をイメージしてみてください。

すると、最初の石を置いた彼の
目のずっと先に在る、完成された聖堂よりも、

そのすぐ背後に在る、大きなパワーを感じます。

その背後に在る何かは、
今この瞬間にも、脈々と息づいています。

僕たちのすぐ背後にも。

創造のパワーは、
創造された成果物に宿るのではなく、
命がいきる瞬間にこそ宿るからです。


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コメント (7)

  1. 創造の「パワー」こそ、すべてのスタートですね… 躊躇せず、表現していきたいです。

  2. ここの聖堂はどこかわかりませんが、私も大聖堂に行ったことがあります。旅の途中ではなく、最終地点、目的地としてです。でも、わたしにとって、その旅の最終地点は、先にありました。フィニステレ(ラ?)という岬から見た海です。幼い頃から行っていた母の実家の近くの海によく似ていました。後で知りました。三陸のリアスは、その地の呼び方から頂いたことを。美しい海岸線でした。あの津波がなければ…。それでもこの夏、ほやと雲丹を食べることができました。

    • norikoさん、こんにちは。

      フィニステレ…スペインでしょうか。
      素敵な海岸線なんでしょうね(^^)

      三陸もやがてもとある美しさを取り戻すと思います。
      それがいつかはわかりません。
      でも、そこで僕たちは、
      その場、その場で、最初の石を置く一人ですね。

  3. 定かではないですが
    ドゥ?というイタリアの教会でしょうか? 
    時代は違えど、沢山の人々の想いが終結されて
    建てられたんだと考えると、『500年』の凄さを感じます

    見えない先の事に対してあれこれ思考を巡らすより
    今を生きることが大切なんですね。〇。。^^

    • maoさん、こんにちは。

      定かではないですが、写真はイタリアです。
      500年と聞いたのは、ドォーモだったかも。

      僕たちは目の前に建造される目に見える結果以前に、
      そこにある創造力を体験しているんだと思います。

      目に見えるものによって、
      目が見えなくなることは、よくあるのかもしれません。

      • 確かにそうかもしれません
        見えるものに執着し過ぎると
        見なければいけないものを逃してしまうのかもしれませんね^^;

あなたが感じたことを教えてください。

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