書籍・映画・アート

意識の諸相:意識とはいったい何なのか?

士郎正宗氏のコミックを押井守監督も映画化した「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」を、ハリウッドで実写映画化!……ということで、僕も観に行ってきました。

ゴーストインザシェル

冒頭、義体化された主人公に博士が伝えます。

「あなたのマインド(心)、ソウル(魂)…ゴーストは生き残った」

彼女は機械的な身体に「ゴースト」がインストールされた存在として復活した、という設定。この映画の原作『攻殻機動隊』では、ゴーストという言葉で表現される霊的な意識、魂といえるような概念、それが何であるのか、というテーマを持っています。それは今の人類のテクノロジーに先にあるものを想像させます。

もしも義体に自分をインストールするとしたら、その人は必ず疑問に思うはずです。自分という

意識は存在するのか?

ある研究者はチャーマーズの講演を聴いてブチ切れていました。

「そんなの科学的に検証不可能じゃないか!!」

デイヴィッド・チャーマーズは還元主義を批判する数少ない意識研究者です。ここ最近の様々な研究を見ていても「意識」は還元主義的に説明できる、という解釈は多いように思います。

(還元主義てのは、時計をバラバラにして、その部品を正しくまたガッチャンコしたら同じ時計ができますよ。世界も時計と同じで、精巧なエクスマキナ<時計じかけ>である、というアイデアです)

意識は時計じかけなのでしょうか?

実際の科学研究においては、要素還元主義的に見ていくのがアリストテレス時代だからの伝統です。アリストテレス自身も意識(心)については、あくまで物質に属するものとして捉えていたようです。

現代の研究者も同じで、意識による判断の7秒前に結果は下されているという、ジョン・ディラン・ヘインズ。意識は電氣信号の複雑な集合体に過ぎないという、マイケル・ガザニガ。『心はどこにあるのか』『解明される意識』『自由は進化する』ダニエル・デネットはもちろん、めっちゃ還元主義。

去年、お亡くなりになった人工知能の父、マーヴィン・ミンスキーさんも

「意識はすでに私が解明したよ。

 意識は記録を保存しておくための単純なシステムの複合体にすぎない。
 すでに問題は解決したのに、みんな何を議論しちゃっているの?」

というようなことを、おっしゃっておられました……。

「人間の意識ってやつは、まぁ、コンピューター・ソフトをちょっと複雑にしたようなもので、バラバラにして見ていけばその仕組は科学的に解明、説明できる」

ーーー とは、どうしても思えない、そんな僕に。去年こちらの上下大著が僕の自宅に届きました。

『意識の諸相』デイヴィッド・チャーマーズ 著
翻訳敬称略:太田紘史、源河亨、佐金武、佐藤亮司、前田高弘、山口尚
意識の諸相 上 デイヴィッド・チャーマーズ

意識の諸相 下 デイヴィッド・チャーマーズ

日本語に訳されて春秋社さんから出ています。

僕も還元主義では「意識」にけしてたどり着けないと考えています。

人間の身体(脳)にはエクスマキナ(時計じかけ)な部分があったとしても、人間の意識、それ自体はエクスマキナではありません。

再考:意識は存在するのか?

世界の物理的領域と主観的領域の間には、けして埋められない説明のギャップが生じています。

きっと、あなたは自分が主観的な意識、クオリアと呼ばれる自分がそれを経験している感覚があることを確信しているはずです。

でもですよ、あなた以外の全人類はもしかすると意識を持っていないのかもしれません。あなた以外の人間は全員ゴーストは持っていないくて、何かを感じたり自由意志を持つこともありません。彼らはただ機械的に、笑ったり泣いたりしているだけなんだ、と考えることもできます。

つまり、

あなたのまわりの人間が全員(意識を持たない)ゾンビだったとしても、あなたに確かめる方法はありませんよね?

これがデイヴィッド・チャーマーズがクオリアを説明した、有名なゾンビ説です。

クレイジーな発想かもしれませんが、物理主義がすべてを現実世界の事実として観察し、部分に還元しながら説明できるとしたら、意識の存在は大きな矛盾となってしまいます。

主観的な意識、ゴーストはその外側にある物理的な領域からは、「ある」とも「ない」とも説明できないものだからです。

この意識についてのナゾナゾには、2つの解答案があります。

ひとつは、チャーマーズのように意識は「ある」立場をとる方(非還元主義、二元論または一部の一元論、プランAからFでいえばDE(F))。

もうひとつは、

人間の脳はエクスマキナ(時計じかけ)であり、意識は捏造、ユーザーイリュージョンである、というもの。

つまり「ない」立場をとる方。

じゃあ、ゴースト(意識)は?

後者なら

「あなたの、きのせい、なんじゃない?」

と答えるでしょう。

きのせい、きのせい。

まるで「この世界に問題はひとつもないんですよ」とポジティブに叫んでいるような精神世界におけるワンネス思想も誤解を重ねていけば、まったくこれと同じ結論に至ります。解説は「それは幻想だ」と答えて終わり、これにて思考停止、証明終了です。

「君ね、それは存在するようなきがしているだけで、ホントはないんだよ」

僕は自分がゾンビではないと知っているのに?

「そう、ないの」

これはもっとも安易な答えであり、そこから先の話はミンスキーさんのように「もう、結論出てるじゃんか!」という堂々巡りにて終わります。

僕は、そこから先の思索こそが重要だと考えています。

ワンネスだって、個が無くてみんなワンネスよ、意識はみんなつながっているんだぜって、そんな理屈は個をたった今経験していることの解説にはなり得ません。「ない」といったら話は終わっちゃいます。それは形態を変えた還元主義。問題はその「ない」はずのゴーストがなぜ「ある」のか? ということですから。

その問いかけへの道すじは、目の前にあるものを、イリュージョン、幻想、捏造だ、夢なんだ、ナイナイ、と目を背けることではありません。

還元主義、そして隠された還元主義を超えて。

他でもない自分の人生を生きていきながら、その先にある知に出会えたら……

そう僕はイメージを拡げます。

自分を変える旅から、自分に還る旅へ。

追伸1:

こちらの『意識の諸相』では、チャーマーズが10年かけて深めてきた意識についての考え方がかなり詳細にまとめられています。当然ながら結論の出ていないことなので、400ページほどのこの本を2冊がんばって読んでみても、たぶん疑問は解消されません。

けれども、すでに自分なりの仮説を持っている人や、どのように考えを構築でき得るのかを探っていきたい人にとっては、意識の思索を拡げる素晴らしい名著になると思います。

この分野の研究はあと10年くらいしたら、面白いことになっていそうですね。

でもその前に技術進歩の流れで、自分をPCにアップロードしちゃう人が出てきそう、とも思います。

さて、どちらが早いのでしょうか?

追伸2:

意識を還元主義的に解明したと断言するマービン・ミンスキーさんも、生前のインタビューにてこんなふうに言っています。

ヨーヨーマがチェロを演奏している瞬間、主観的な意識はそれをどんなふうに感じているのか?

それを知るためには、ヨーヨーマのすべての記憶が必要だ。

つまり、それを知るために私はヨーヨーマになる必要がある。

そして、ヨーヨーマになるということは、私は私でなくなるということでもある。

あるテクストにおける唯一正しい解釈とはそのテクスト自身だ。

だから、その人らしさとはそれ以上に還元できないものなのだよ。

テクストはテクスト自身。つまり、コンテクスト(背景)も含めて、ですね。

実に還元主義的ではないお言葉だなあー。

>> 意識の諸相とシミュレーション仮説。

>> 意識の諸相とフラットランド。

ABOUT ME
マッキー
牧野内大史(まきのうち ひろし)作家、コンサルタント。著書に『人生のシフト』(徳間書店から)スピリチュアル翻訳者として著名な山川紘矢さん 亜希子さんご夫妻 あさりみちこさんとのセッション本(ヒカルランドから)や、監修翻訳を担当した『ソウル・オブ・マネー』(リン・ツイスト著)等がある。2014年にIFEC(国際フラワーエッセンス会議)に日本人ゲストとして登壇した。長野市在住。